2022年5月22日 説教 橋爪大三郎氏 (信徒)

聖霊は神の愛である

ヨハネによる福音書 14: 23 – 29

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復活したイエスは、天に昇りました。代わりに、聖霊が降りてきます。父と子と聖霊。
この三つがひとつだと、キリスト教は信じます。今日の日課では、イエスが弟子たち
に、やがて聖霊が与えられるからね、と教えます。聖霊とは何か、一緒に考えてみま
しょう。 日本語で霊と言えば、幽霊です。人間が死ぬと、肉体がなくなる。でも何
かが、ふわふわとさまよっている。これが幽霊です。人間は死ぬと、肉体と霊が分か
れる。ならば、死ぬ前の人間は、肉体と霊が合わさったものです。

神はどうなのか。結論から言いましょう。神は、霊そのものです。
まず、天の父は、創造主です。太陽も月も、すべて造りました。神は、造られたモノ
ではありません。神は、モノを超えた存在です。ならば、霊です。天の父は、肉体を
もっているのか。創世記を読むと、神はエデンの園を歩き回り、アダムと話をします。
でも聖書には、神がどんな姿なのか、あまり書いてありません。
つぎに、イエス・キリスト。「聖霊によって」「おとめマリアに宿り」「肉体を受けて
人とな」りました。ならば、それまで肉体はなかったのです。父と同様、霊的な存在
だったことがわかります。

イエス・キリストは、人間としての生涯を送りました。肉体として存在しました。そ
して、十字架で死にました。死ぬのは、人間だからです。そして復活しました。復活
するのは、神の子だからです。そして、昇天します。昇天するのは、神の子だから。
そして、やがてもう一度やって来て、人びとを救うためです。

さて、聖霊。聖霊は、霊なので、肉体がありません。モノでもありません。聖霊は、
目に見えない。神の考えや言葉を伝える。ならば、電波のようなものか。神さまが放
送局。私たち人間は、ラジオやテレビの受信機、のようなものか。
そう考えても、まあよろしい。でも、聖霊は、電波ではありません。電波はただの電
磁波で、モノです。聖霊は、神のはたらき、いや、神そのものです。

そもそも私たち人間が、ものを考え、精神活動をしたり、神を信じたりできるのは、
聖霊のおかげです。キリスト教では、そう考えます。
神は、全知全能です。地上のあらゆる出来事を、知っています。監視カメラなしで、
わかります。奇蹟を起こそうと思っただけで、海の水が左右に分かれます。この神の
パワーは、物理学では説明できません。イエス・キリストは、神の子です。やはり何
でも知っていて、奇蹟も起こします。イエス・キリストが天に昇ると、入れ代わりに
聖霊が降りてきました。なぜ聖霊が降りてくるのでしょうか。それは人びとに、神は
あなたと共にいるよ、と伝えるためです。

全知全能の神は、モーセを通して、律法を守るように命じました。守らないとダメ
じゃないか、と注意する律法学者が現れました。律法を守れない、弱い立場の人びと
は生きづらくなってしまいます。それをみて、イエス・キリストは言いました。人間
はみな罪がある。私は、そんなすべての人びとを、救うために来た。私は十字架で犠
牲になる。それは天の父が、それだけみなさんを愛しているということだ。そして死
んで、復活した。この出来事が、福音です。

福音を伝えなさい。人びとは福音を伝えようとしました。でも伝言ゲームになります。
ひとからひとに伝わる言葉は、あやふやです。イエスがまた来るその日まで、こんな
あやふやなことで大丈夫だろうか。

そこで与えられるのが、聖霊です。聖霊は、霊なので、人びとの精神のなかに、直接
に飛び込んできます。弟子たちに、飛び込んできました。使徒パウロに働きかけまし
た。信仰をもつ人びとにも、そうでない人びとにも、つねに働きかけています。
聖霊は、父と子の両方から出ます。「出る」のだから、天の父、イエス・キリストと
は別のものです。でもなかみは、天の父、イエス・キリストと同じです。それがあ
なたや私のなかに、飛び込んでくる。すばらしいことではないでしょうか。

聖霊は、人びとの信仰を支えます。おかげで、福音が正しく伝わります。
聖霊は、人びとを「慰める」だけではありません。あなたが元気いっぱいに朝起きて、
朝ごはんをおいしくいただく。そのとき、父なる神とイエス・キリストが、あなたと
共にいて、喜んでいる。あなたか悲しくて涙を流すとき、父なる神とイエス・キリス
トも、あなたと共にいて、涙を流している。「慰める」が必要なときに限らず、いつ
もあなたや私と一緒にいて、喜び、悲しみ、悩み苦しんでくれるのです。
いや、共にいる、という言い方でも、まだ足りない。自分がここにして、息をしたり、
喜んだり悲しんだり、ものを考えたりするのも、聖霊のはたらきのおかげです。
だから聖霊は、人びとに届けられる愛そのものです。

信仰がしっかりしているひとにも、あやふやなひとにも、聖霊は降ります。キリスト
教を信じているひとにも、信じていないひとにも、わけへだてなく聖霊は降ります。
聖霊を通して、天の父とイエス・キリストは、人類をひとり残らず救おうと手を差し
のべています。聖霊は、神がそれほど人びとを愛していますよ、というメッセージな
のです。
そのわりには、聖霊が自分に働いているような気がしないなあ。それでも、聖霊は働
いています。それは、知っていればよく、感じる必要はありません。息をする。喜ぶ。
悲しむ。笑う。悩む。日々の気持ちや考えは、すべて聖霊のはたらきです。そのこと
に感謝して、日々を生きるのがふさわしいのです。