2021年6月27日 説教要旨 鈴木連三氏 (信徒)

全面的信頼

マルコによる福音書 5: 21 – 43

説教の動画をYouTubeで視聴できます。

今日の福音書には2 つの奇跡物語が織り合わさるように記されています。会堂長のヤイロは自分の危篤の娘を助けて欲しいとイエス様に訴えました。しかし道の途中でイエス様が出血に苦しむ女性のために時間を費やし娘が死んでしまいます。絶望的な状況の中、『恐れることは無い。ただ信じなさい。』という言葉に導かれ、娘の蘇生(永遠の命による復活とは異なる)という奇跡に預かります。

また、長く病気に苦しみ、財産も人間としての社会との関わりも失っていた女性は、イエス様の服の端にでも触れさえすればいいことがあると考えていました。しかし彼女はイエス様に探し求められ『安心しなさい。あなたの信仰があなたを救いました。』と声を掛けられます。からだの癒しという奇跡だけではなく、人としての社会的回復・魂の平安を得ました。

イエス様がなさったこれらの奇跡をとおして、共通するものを私たちは感じます。絶望の中で『ただ信じなさい』と言うイエス様を部屋へ招き入れたヤイロ。振り向いてもらわなくてもいい、服に触れさえすればと手を伸ばした女性。このような神様への全面的信頼=信仰を表した者には神様の癒しと平安が与えられています。神様への信仰というのは、私たちが普段使っている『信じる』という言葉とは少し異なります。普通の『信じる』というのは『きちんと理解し、自分でその内容を正しいと認める』ということで、信じるかどうかはあくまでも自分の物差し、自分の判断だからです。

でも、もう娘が死んでしまい全ては終わってしまったとわかっているはずのヤイロがイエス様に促されてまた進み始めたのはどういうことでしょう?振り向いてもらえるはずはない、でも服には触れたいと手を伸ばした女はどうでしょう?自分の理解や能力を超えた困難の中で神様に下駄を預けて生きる姿勢、これが信仰です。そんな神様を見上げるとき、私たちのあきらめや不安は薄れ、消えていきます。これが神様からの希望です。どうぞ自分の弱さ・無力さを認めて謙虚に神様の前にひれ伏す姿勢が私たちの中に育まれますように。