2021年1月3日 説教 松岡俊一郎牧師

導きの星としての信仰

マタイによる福音書 2: 1 – 12

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あけましておめでとうございます。今年最初の主日礼拝です。昨年は日本では3月ごろから広がり始めた新型コロナウィルによって、礼拝の休止にまで追い込まれた異例の年になりました。何とか秋から礼拝とウィークデイの集会は再開にこぎつけましたが、教会暦の祝祭日は休止をせざるを得ませんでしたし、12月から首都圏では再び感染が広がり始め、大みそかには1300人以上の確認が出ましたので、教会もこれからどう対応するか役員会で検討することになります。しかし今日、一年の初めをみ言葉の礼拝もって始めることができることを感謝いたします。

さて、今日は顕現主日です。1月6日が顕現日ですが、それに近い日曜日を顕現主日として守ります。クリスマスにお誕生になったイエス様を訪ねてきた東方の博士たちが、赤ちゃんイエス様を探しあて、黄金、乳香、没薬を捧げて礼拝した日とされています。

博士たちは占星術の学者たちでした。彼らは母国においては王に仕え、星占いによって国の行く末を王に進言する要職でした。そのために古い伝承や言い伝えと星の動きを丹念に研究していたのです。そんな彼らが大きく輝く星を発見することは容易なことですし、それをなにがしかの大きな出来事と結びつけたのは当然のことでした。彼らはそれをユダヤ人の王の誕生、さらに救い主の誕生と悟ってヘロデ王のもとを訪ねてきました。
彼らがどこの出身であったかということについては、アラビア、ペルシャ、バビロンという説があります。その中でペルシャの宮廷に仕えていたという説が有力です。バビロンにしてもペルシャにしても、過去にユダヤ人たちが捕囚とされ長い間連れていかれていた場所ですから、その国の博士たちが、救い主がユダヤ人の間に登場するという話を伝え聞いていたということは十分に考えられることでした。そこで彼らは特別な星の誕生をユダヤ人の王の誕生と判断し、そしてその王はただの王ではなく、特別な王であることを悟ったのです。

旧約聖書をみてみますと、ソロモン王のところには多くの外国からの要人が拝謁に来ています。今日の旧約の日課であるイザヤ書6章にも、メシアの到来の際にはミディアンとエファの若いラクダが押し寄せ、シェバの人々が黄金と乳香を携えて来ることが預言されています。王の誕生の際には外国の人々が拝謁に訪れることが一般に行われていました。イスラエルは中東の諸国の中では決して大国ではありませんでした。むしろ周辺の列強の国々にたびたび侵略を受け、人々は捕囚として捕えられました。しかし、そんな国であっても王の誕生や即位となると、周辺諸国は敬意を現わすために表敬訪問をしたのです。いつなんどきその王が力を持ち、自分の国と敵対関係に陥るか分からないためです。

しかし外国からの突然の訪問者、それもユダヤ人の王の誕生というニュースに、ヘロデ王や取り巻きの人々は大変な驚きであったに違いありません。当時の権力の争奪は大変激しいものでした。このヘロデ王はそのためには自分の子供さえを殺すほどでした。新しい王の誕生ということは、すなわち自分の身を危うくする存在の誕生ということでほってはおけません。また、それまで王のもとで甘い汁を吸っていた側近たちも、王が替われば自分たちは追放されるだけでなく殺されるかもしれません。一般の市民にとっても政権交代による混乱は避けられませんから、それは好ましからぬニュースだったのです。さっそくヘロデ王は祭司長や律法学者にメシアの誕生の場所を調べさせます。すると彼らは預言者ミカが「ユダの地、ベツレヘム」に生まれることを突き止めるのです。そこでヘロデ王は、博士たちにその場所が分かったら自分も拝みに行くから教えてくれと言って送り出すのです。もちろん拝みに行くのは嘘です。実際に博士たちが帰ってこなかったことを知ったヘロデは、この後ベツレヘム周辺の2歳以下の子供を皆殺しにしてしまうのです。

さて星に導かれ旅をつづけた博士たちは、母マリアに抱かれた救い主に出合い、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げました。後付け的な説明ですが、黄金は世界の王を表し、乳香は祈りを表します。つまりイエス様は祈りの対象であるという事です。そして没薬は死を表します。言うまでもなく、イエス様の十字架の死を予告したと言われるのです。別の解釈では、これらは占星術の学者たちが仕事で使う物であったとも言われます。つまり、彼らは自分たちの生業のすべてをささげたのです。ついでに言うと、6世紀ごろには、彼らに名前が付けられて、ガスパール、メルキオール、バルタザールと命名されて、15世紀には世界の三大陸から来たと言われるようになりました。

さて、博士たちはヘロデのところに帰るなとの夢のお告げを受け、別の道を通って自分の国に帰って行きました。
顕現日の大切なところはそれだけではありません。それは救い主の誕生が、旧約聖書に書かれながら、救い主を礼拝したのがユダヤ人ではなく異邦人、外国人の博士だったということです。ユダヤ人は、救いは、神様に選ばれ律法を与えられ、それを守る自分たちこそが救いにふさわしいものと考えていました。それは強固な選民意識でした。しかし、ヘロデ王が祭司長や律法学者に調べるように命じ、彼らがすぐに預言者ミカの言葉を発見したように、彼らには救い主の誕生が預言されていたにもかかわらず、救い主を礼拝したのは異邦人であったのです。そこで使徒書は、パウロが異邦人伝道について語った箇所が書かれています。そこには神の秘められた計画について、「異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」と言っています。ここに中心ではなく周辺に目を注がれる神様のまなざしがあります。救い主の誕生が異邦人の博士たちによって伝えられ礼拝されたことは、すでにこの時からキリストの福音は世界に伝えられる神様のみこころがあったことを表しています。

さて、私達の救い主はもう家畜小屋にはおられません。赤ちゃんのままではなく、私たちの罪のゆるしのために十字架にかかり復活し天に昇られました。そこで私たちが救い主と出会うのは御言葉と聖餐式です。現在、残念ながら感染防止のために聖餐を自粛していますが、神様のみこころを言葉として聞き、その言葉は私たちの内で生きたものになります。そして聖餐式は、パンと葡萄酒と共におられるイエス様を体現するのです。新しい一年が始まりました。私たちは今年もこのみ言葉と聖餐を中心に、信仰を日々新たにされ、キリストの救いと喜びを伝える宣教の歩みを続けていきたいと思います。