2020年1月26日 説教要旨 鈴木連三氏 (信徒)

天の国は近づいた!

マタイによる福音書 4: 12 – 23

今日の福音書の日課は、イエス様の公生涯がガリラヤで始まったことが書かれています。『イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。』バプテスマのヨハネは当時のユダヤの領主であったヘロデの不正な結婚を批判し、逮捕されてしまったのです。ヨハネの逮捕を聞いてイエス様はガリラヤに『退いた』と表現されています。これはマタイの特徴的な言葉で、当時のガリラヤという地方の立場をマタイが強調したものです。ガリラヤという地方は『退く』方向の地方、つまり本流から外れた辺境でした。マタイがこのことを強調することによってイザヤの預言(8: 23 – 9: 3) 『ヨルダン川のかなた異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。』が成就します。

イエス様の宣教活動の開始宣言『悔い改めよ。天の国は近づいた。』この言葉は3章2節のバプテスマのヨハネの言葉と完全に一致しています。これもマタイ独特の表現です。イエス様がヨハネと全く同じ言葉を人々に語ったことで、ヨハネが指し示す救い主が間違いなくイエス様だということが表されています。しかし、言葉そのものは同じですが、イエス様とヨハネでは天の国の印象は正反対です。『悔い改めにふさわしい実を結べ』と迫るヨハネの言葉は神さまの怒りを感じさせます。イエス様の言葉は直後の個所にあるイエス様の言動、『人々の間を回り、会堂で教え、ありとあらゆる病人をいやされた。』や更に続く『山上の説教』より、私たちを慈しむ愛の神様の姿を映し出されます。

イエス様は宣教の開始宣言の後に普通の人である漁師の兄弟を弟子としてスカウトしました。天の国の実現を私たち人間の力によってされることに意義を見出しているのです。では、なぜ普通の人である必要があるのでしょうか?

天の国は神様の平和、神様の愛で満たされた世界です。そしてそれをこの世に実現する方法はただ一つ、私たちが互いに愛し合うことです。この世界に平和をもたらすのは、決して一部の政治家だけに委ねられているのではありません。私たち一人ひとりが互いに愛し合うことによって平和は生まれます。隣人を、敵を、そしてありのままの自分自身をそのまま受け入れることが、神様が望まれる愛です。

私たちは主の祈りを唱えます。『み国が来ますように。み心が天で行われるように地上でも行われますように。』天の国の訪れを望む者として、イエス様が示された愛を実践できるよう祈り、願いましょう。