2019年11月24日 説教要旨 鈴木連三氏(信徒)

石ころの1個、髪の毛の1本

ルカによる福音書 21: 5 – 19

私たちはこの一年の間に二つの重要な建物の火災事故のニュースを聞きました。一つは沖縄の首里城、もう一つはパリのノートルダム寺院です。どちらも市民に愛され、心のよりどころとなる存在で、燃え続ける姿を見つめながら涙を流す人々の悲痛な心がニュース映像から伝わってきました。今日の福音書の個所は、イエス様の時代のすべてのユダヤ民族の象徴であるエルサレム神殿についての予告が書かれています。

イエス様が過ぎ越し祭のためにイスラエルに入り神殿を訪れた時のこと、ある人たちが神殿の豪華さを話していると、イエス様は『あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。』、神殿が破壊されることを予告します。ヘロデ大王によって建てられたエルサレムの神殿はユダヤ人の誇りであり、心のよりどころでした。この神殿は巨大で豪華を極めたものでした。過ぎ越しの祭りのために集まり、その姿に感動している人々に対し、イエス様は『石ころ一つ、石ころ一つも残さず神殿は崩れ落ちる。』と予告しました。

イエス様は更に世の終わりが来る前には戦争や大きな災害、そしてキリスト者への迫害が起きると予告します。このような状況下にあっても『あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。おびえてはならない』と言うのです。この言葉は地震や台風など災害時の身の安全を保障しているのではありません。また、戦争で鉄砲の弾が自分を避けてくれるのでもありません。それでもイエス様が言います。『たとえ殺されたとしても命を得ることができる。』

この命は原語のギリシャ語ではプシュケー…たましいのことです。辞書には『なまの人間の人格生命の本質的部分』とあるそうです。この命はキリストの復活によってのみ得られる永遠の命のことです。『忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。』忍耐とは単に苦痛に耐えることではありません。様々な困難、誘惑の中にあっても神様の元に踏みとどまること、神様とのつながりを保ち続けることをここでは忍耐と呼びます。神様の元に踏みとどまれば、私たちは髪の毛一本も失うことがないとイエス様は私たちに約束します。