2019年2月24日 説教要旨 関口昌弘氏(信徒)

「 おことばを下さい 」

ルカによる福音書 7: 1 – 10

はじめに
言葉とは何でしょうか? 昔、宣教師の娘として長く日本で暮らしていた方に聞いたことがあります。ものを考えるとき何語で考えるの? 彼女は、英語よ と答えた。学校は英語、家ではフィンランド語、ダジャレは日本語 と話しました。頭の中で、彼女は英語で考えている。(当時彼女はアメリカンスクールに通っていた) 私は日本語でしか考えられない。

言葉はどのように生まれるのか? それは、頭の中で何かを考える、もやもやと考える、その思い(意味)を言葉に移す(写像)。それを人に話す。 聞き手は、その言葉によって、その意味を考える。しかしその意味は、話し手の意味と同じだろうか。 ある意味、人間関係は、誤解だらけなのかも知れない。 そんなつもりで言ったんじゃないのに。 決定的な断絶にならないことを願うのみ。

バベルの塔の話。
創世記11章1 – 9にバベルの塔の話が書かれています。 世界中は同じ言葉を使っていた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある街を建て、有名になろう。」
主は降ってきて、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことを始めたのだ。・・・・・・我々は(主は)降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
(この物語は、バビロニアの都市文明に神にもなろうとする人間の高ぶり、中央集権的体制に対して、主の怒りの結果、言葉が混乱(バベル)させられてしまった。)

聖霊が降る(使徒言行録2章)
・・・・(4)すると一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。・・・・・(7)人々は驚き怪しんで言った。「話しているこの人たちは、皆ガリラヤのひとではないか。どうして私たちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」
(この物語は、ペンテコステの奇跡、主の霊が働くとき、国々・民族を超えた、超言語の時が訪れる。完ぺきな自走翻訳・神の国とはこういうところだろうか。神の国の先取り?)

百人隊長の信仰
・・・(6)・・・「主よ、ご足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。・・・・ひと言おっしゃって下さい。そして、わたしの僕をいやしてください。」 主のお言葉、・・(9)・・「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」
(人間の言葉に信仰がプラスされています。お言葉、み言葉、み旨 百人隊長のイエスさまへの絶大な信頼・信仰、すべてをゆだねる信仰、イエスさまのみ旨が実現しています。)
(みことば+信仰 ⇔ み旨の実現 ここには矛盾がありません。)