2018年12月9日 説教要旨 松岡俊一郎牧師

荒れ野で響く声

ルカによる福音書 3: 1 – 6

富山県の北アルプス立山には室堂まで高原を通るバス道路があります。冬は10メートル近く雪が積もりますので、当然車は入れません。4月ごろ雪の季節が終わる頃、「雪の大谷」が現れます。まだ6, 7メートル雪が残ったところに元のアスファルトの道が現れるのです。周りはまだ雪の壁が残っています。私は雪原の中をどうやって元の道を探り当てるのか不思議に思っていました。今では GPS を使って道をたどってブルドーザーや除雪車を使って掘るそうですが、それがない時にはとても大変だったと思います。道を作るのはとても大変な作業です。聖書の時代はすべてが人海戦術でした。たくさんの人と時間が必要とされ難工事であったと思います。ルカが引用した旧約聖書イザヤ書の言葉にはそのような背景がありました。つまり谷が埋められ、山と丘が低くされ、曲がった道がまっすぐになり、でこぼこの道が平らになることは、救いの到来に匹敵するほど素晴らしいことだったのです。

さて、今日の福音書であるルカは、洗礼者ヨハネの活動を伝えるにあたって、その時代を特定しようとします。それは紀元の28年から29年と考えられます。洗礼者ヨハネは、ご存知のようにイエス様の母マリアの親戚であるエリザベトから、イエス様のお誕生より半年ほど先に生まれました。その後の成長の過程は不明ですが、イエス様が公けの伝道の生涯を始められるころには、ヨルダン川のほとりで人々に洗礼を授けていました。ヨハネのもとに集まった人々の中にユダヤ教のグループであるファリサイ派の人々やサドカイ派の人々がいました。彼らはアブラハム以来の信仰的伝統を自負していました。彼らも市中でうわさになっている洗礼者ヨハネを見てみようと思ったのか、それとも悔い改めを説く預言者から一応、洗礼を受けておこうと思ったのか、やって来ました。彼らの洗礼はキリスト教の洗礼とは違い、唯一回とは限らなかったのです。ファリサイ派もサドカイ派も宗教的に厳格なグループでした。しかし彼らにとっての悔い改めの洗礼は、彼らがこれまで持ち続けてきた信仰の伝統と習慣に一つを加えることでしかありませんでした。ファリサイ派についていえば、彼らにとって神の救いは自分たちの信仰的敬虔さ、彼ら自身の努力の積み重ねによって実現するのであって、ヨハネの洗礼を求めたのもそれに一つを加えることに過ぎなかったのです。

しかし、そのように考えていた民衆に対して洗礼者ヨハネは、ヨハネ自身が授け、当時は慣習的にも行われていた水の洗礼を、それだけで十分ではないことを示し、むしろキリストが授ける聖霊による洗礼が必要であることを教えます。聖霊による洗礼とは、私たちの側の思いや姿勢が中心となるのではなく、神様が主体となり、神様が導かれるキリストの洗礼です。ヨハネはそれを悟っており、人々の目をキリストに向けようとしたのです。

それでは洗礼者ヨハネは、いったい何を叫んでいたのでしょうか。彼が求める悔い改めとは何だったのでしょうか。悔い改めは、わたしたちの考えや生活を修正するというような生易しいものではないのです。

聖書が教えるその道は、私たちが整えるのではありません。キリストご自身が道となり、私たちが救いにいたる道となってくださいます。私たちはその道を信じ、受け入れ、その道をたどって行くだけです。その意味で、洗礼者ヨハネのいう道を整えることは、私たちの身を整える努力ではなく、キリストを受け入れるということに他ならないのです。