2018年8月5日 説教要旨 関口昌弘氏(信徒)

平和主日「一人の新しい人に」

ミカ書 4: 1 – 5
エフェソの信徒への手紙 2: 13 – 18
ヨハネによる福音書 15: 9 – 12

平和の概念は、二つの事柄の関係で成り立つものと考えられます。
例えば、二つの国の関係、二つの組織の関係、家族の関係  など
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、(エフェソ2:14)

・災害には対立関係はありません。災害をどう考えたらよいのでしょうか?
被災者は、自然現象だから仕方ない、と。 マスコミは、 一体誰に文句を言えばよいのか、と。
・ 災害という言葉は、聖書にも岩波キリスト教辞典にもありません。
聖書の著者には、災害という概念が無かったと思われます。ヨーロッパにはたぶん大きな災害
はないのでしょう。しかし、疫病は聖書にはあります。
ルター時代ペストは大きな問題でした。6世紀に大流行し、しばらくして1347年に大流行、それから1720年まで10-20年周期で何度もおそわれました。特に14世紀のヨーロッパでは、ペストの襲来と大量死は人々の心と生活に大きな打撃を与えた。「メメント・モリ」(死を想え)の標語が流布し、「死の舞踏」「死の勝利」と呼ばれる図像が盛んに描かれた。  (岩波キリスト教辞典)

・エリヤへのメッセージ(列王記上19:9-12)

ここでは、命の危機にあったエリヤが洞穴に隠れているところに神の言葉があった。
激しい風、山を裂き岩を砕く、地震、火 しかしその中には、主はあられなかった。火の後、
静かにささやく声が聞こえた。 この出来事は事実でなく、エリヤの幻であった思われます。
・自然災害をどう理解したらよいのでしょう? 神の怒り? 何かへの報復? これは考え難い。
創造の神が地球を作った時、生きている地球の営みとして起こること、公転・自転・マグマ・プレート・空気・水など・など。これらの異常な動きを、人々は、自然災害と理解する。被災者が自然現象だから仕方ない、と言う。 私たちは、仕方ない に留まらず、 「静かにささやく声」に耳を傾けることが必要ではないでしょうか。

・今日は平和主日です。

実にキリストは私たちの平和、二つのものを一つにする。  キリストは、双方をご自分においてひとりの新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ばされました。(エフェソ 2:14-)
一人の新しい人に造りあげられる とは 静かにささやく声  を聴くことが出来る人・声に耳を傾けることが出来る人のことではないでしょうか。今までのまんまではなく、少しずつ造り変えられる自分が必要ではないでしょうか?

一人の新しい人とは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ15:12) キリストの愛によって、互いに、他者を大切にする人、日々新しくされる人 これが平和を創り出す根源になっていることを知らなければならない、と思います。