2018年4月29日 説教要旨 清重尚弘牧師

我は真のぶどうの樹

ヨハネによる福音書15: 1-10

主は、形成される教会のすばらしい姿をぶどうの樹に喩えて語って下さっていす。これは、弟子たちにとって、また主ご自身にとって大いなる喜びのメッセージです。枝を外に投げ捨てる、火で焼くという言葉があるので、もしかして自分が裁かれて滅びる者なのかと恐れるなら、それは、読み違いです。このみ言葉は、大いなる喜びのメッセージである(11節)と主は仰います。これが第一のことです。

第二は、実を結ばない枝を天の父が「取り除く」とは、「剪定」作業です。無駄を省いて、良い身を豊かにならせるため、剪定はその枝の本体を殺すものではありませんね。剪定の際の基準は?それはただ一つ、私たちのうちにある主の言葉です(7節)。聖書のみ。み言葉に照らして吟味していただきます。ルーテル教会が大切に聴いてきた真理です。

第三は、ぶどうのDNAです。ぶどうの樹は横へ横へと広がっていく樹です。弟子たちはどこまでも横へ横へと広がって、その先で豊かに実を結ぶものです。ルーテル教会のDNAは?歴史的にいえば、16世紀の誕生期には内部の議論に集中していて、外へ出て行くことはできていませんでした。世界へ広がっていったのは、カトリック教会。なんと16世紀に既に日本に宣教師が到着して伝道を開始しています。では、大岡山教会はどうか。幸い近代になって他のプロテスタントに伍してフィンランドミッションが日本にまで枝を広げ、大岡山の教会を生み出してくれました。その枝は今も豊かに身を結んでいます。特に幼児へのミッションを通してこの地域に枝を広げ、幼児、その保護者へと伸びた枝が実りを結んできたのですね。私たちは、このDNAを持つ枝として茂り、さらに枝を広げて、福音を分かち合い、つながり、うちに留まってくださる主の中に私たちが留まって、互いに愛し合い、天の父の栄光をあらわすぶどうの樹とその枝として、天の父の栄光があらわれますように、祈り、感謝し歩んでまいりましょう。