2018年9月30日 説教要旨 鈴木連三氏(信徒)

本当の偉さ

マルコによる福音書 9 : 30 – 37

偉い人と言えば、困難を人一倍の努力で乗り越え、他の人の追従を許さない活躍をした人の姿が浮かんできます。日本で若い人に人気がある“偉い人”は、古くは野口英世やヘレン・ケラーや発明家のエジソン、現代では野球のイチローやアメリカの実業家でアップル社の設立者、スティーブ・ジョブスだそうです。卓越した学者、芸術家、スポーツ選手、政治家、経営者、起業家…彼らは社会に強い影響力を持っています。彼らのすること考えることは多くの人々を動かし、人々に感動を与えます。その中に彼らは自分が存在する意義を見いだします。そして彼らの心は満たされるのだと思います。

今週の福音書の日課は、先週に引き続きイエス様による受難の予告と弟子たちの無理解、その無理解に対する弟子たちへの教育が書かれています。ガリラヤに戻ったイエス様は弟子たちに二度目の受難の予告をします。そして十字架にかかって死ぬキリストに従うというのはどういうことなのか?を弟子たちに教えます。『いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。』これを聞いた弟子たち、実は彼らは自分たち 12 人の間でだれが一番偉いのか、イエス様がこの世で得た名声を受け継ぐのはこの中の誰かを議論していました。彼らは、イエス様のそばにいつもいながら、全くと言っていいほど神様のご計画を理解していませんでした。

『いちばん先になりたい者は、…』イエス様のこの言葉はいちばん先になるための方法を教えている言葉ではありません。先になりたいという生き方を捨てなさいという覚悟を求める言葉です。仕えることは偉くなるための手段ではありません。仕えることそのものが神さまから与えられた掟なのです。イエス様の弟子になること、私たちにはとても困難なことです。でも、人に仕えようと思っても私たちが自分を捨てきれないこともイエス様はよくご存知です。そんな私たちが折れそうな時には、イエス様は私たちの分まで担ってくださいます。イエス様の助けによって、私たちは偉くなりたい、上に立ちたいという思いから解放されます。そして自分が存在する新しい意義を見いだし、満たされるのです。

徹底的に人に仕える生き方、普通に考えてみればこのような見返りの無い、割の合わない生き方は、誰からも理解されません。でも、イエス様が私たちのために十字架の道を歩かれたこと、そしてそれは全く割に合わない生き方であることを私たちは知っています。本当の偉さとはどのようなものか、そのことを思い巡らせてみたいと思います。