壁を取り除く
マタイによる福音書 5: 13 – 20
1989年11月9日、東西ドイツを厳しく分断していた「ベルリンの壁」が民衆の力によって破壊されました。これは誰も予想しなかったことでした。この壁があったおかげで何人の人が苦しみ命を落としたでしょうか。歴史的な快挙、素晴らしい出来事でした。しかし人は壁を作り続けます。依然として世界には壁が存在します。北朝鮮と韓国の壁、イスラエルとパレスチナの壁、アメリカとメキシコの壁、中国と台湾の壁、日本も中国と壁を作ろうとしています。人の歴史は壁を作る歴史でした。人と国を具体的に分断する壁だけではありません。戦争や紛争はそれ自体が壁です。それは国と国だけにとどまりません。私たちの心にも壁があります。親しい間柄になる前は、警戒し心の壁を作るのです。それは場合によっては家族間であっても親しい友人関係の間にも壁が生まれます。この閉ざす心が、対立を生み、欲と野望によって、家族の崩壊、人間関係の断絶、紛争や戦争に発展するのです。 人は神の愛を忘れ、裏切り、神様を神様とせず自分を神としました。神様との間に人が壁を作ったのです。すべての壁がこの罪に由来します。しかし神はその断絶を良しとされません。神様が望まれるのは、愛によるゆるしと和解です。これらがあって初めて人は命と平安が与えられるからです。しかし人はそのままではこの命と平安を手に入れることはできません。私たち自身が罪を犯したのですから、私たちの力ではそのゆるしを得ることができないからです。ゆるしは神様からしか与えられないのです。神様は、真の和解を願われます。そしてひとり子イエス・キリストを十字架にかけることによって和解を実現されるのです。十字架というハンマーで、人が作り、人が取り除くことができない壁を破壊されるのです。私たちの間にゆるしと平安が実現するとするならば、この神様の愛に頼るしかありません。武力や力、権力で平和が実現すると信じることは妄想、幻想でしかありませんし、全く間違っています。
しかし私たちの社会と世界はこの妄想に生きています。今日は選挙の日ですが、いくつかの政党は、この戦争ができる国にするために憲法改正を企んでいます。日本がこの80年戦争をしなかったのは、現憲法の戦争放棄の条文があったからです。
これは制定時には連合軍の政治的な意図があったかもしれませんが、世界的にまれにみる素晴らしい条文で、これによって戦争を企む人たちを抑制してきたのです。
あまり知られていませんが、笠木透さん作詞、安川誠さん作曲の「あの日の授業-新しい憲法のはなし-」という歌があります。少し長いですが、歌詞を紹介します。
あの日の先生は 輝いて見えた 大きな声で教科書を 読んでくださったほとんど何も 分からなかったけれど
■心に刻まれた あの日の授業
- そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と戦争をしないようにと、二つのことを決めました。
その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさい持たないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨ててしまう』ということです。 しかし、みなさんは、決して心細く思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
あの日の先生は 熱っぽかった これだけは決して 忘れてはいかんぞ あわをふいて ほえたり叫んだり
■心に刻まれた その日の授業
- もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、決して戦争によって、相手を負かして、自分の言いぶんを通そうとしないということを決めたのです。おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。
なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすようなことは、いっさいしないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。
そうして、よその国となかよくして、世界中の国がよい友達になってくれるようにすれば日本の国は栄えてゆけるのです
あの日の先生は 涙ぐんでいた 教え子を戦場へ 送ってしまった自らをせめて おられたのだろう
■今ごろ分かった あの日の授業
あの日の先生は 輝いて見えた 大きな声で教科書を 読んでくださったほとんど何も 分からなかったけれど
■心に刻まれた あの日の授業
しかし戦後80年たって、戦争の無残さ、悲惨さ、残虐さを忘れ、それを無視して再び戦争ができるようにしようとしています。世界各地の悲惨な戦争の実態を目にしながら突き進もうとしています。残念ながら、それに対抗する力もすべも私たちにはありません。しかし私たちには祈りと言葉があります。昨年から、大岡山教会は平和を祈り、創り出す教会になろうとテーマを掲げています。私たちの力には限りがありますが、私たちはキリストの平和を知っています。ですから、神様の愛と平和が私たちに間に、社会と世界に実現するために私たちにできることを身近なところから取り組みましょう。
