まことに生きるということ
ヨハネによる福音書 11: 32 – 44
わたしは毎年夏休みを10日ぐらいたっぷりといただいています。そのうちの4泊ぐらいは、大学の友人たちと旅行に出かけています。この旅行は8年ほど前に、一人の友人が肺の病気のかかり、医者から余命五年と宣告されたことから、今のうちに会っておこうと始まったもので幸い5年ではなく8年続いています。しかしさすがに彼の体調も悪くなり今年は彼の地元の北九州の門司に行くことになりました。8月末に計画していたのですが、ご存じのように台風10号が直撃し、飛行機も新幹線も止まって中止になりました。しかし10月24日から2泊でリベンジして行くことが出来ました。この友人たちは全員洗礼を受けたクリスチャンなのですが、教会の礼拝に行っているのは三分の1ぐらいです。ところが彼らはこの旅行の最中に礼拝をしたいと強く言うのです。友人たちは福祉や心理の仕事をしていて牧師は私だけです。そこで当然私が礼拝を担当することになるのです。私は内心夏休みなのにという思いなのですが、断ることもできず、毎回礼拝をしています。今年も30分ほどの礼拝をしました。この病気の友人は私の説教をいつも「これこそ説教だ」ととてもほめてくれる珍しい人です。今年は黙示録7章13節から17節を取り上げ死と復活について説教しました。死を目前にした友人の前で死について語るのはどうかと心配する友人もいましたが、私はあえてそうしました。誰でも死は無縁ではないからですし、死を目前にしているからこそ復活を知ってほしいと思ったからです。今年は5人の参加がありそれに加えて二人がZOOMで参加しました。
今年の説教はとても喜んでくれ録音して家族にも共有してくれたと聞きました。今日の福音書の日課は、ラザロの復活の記事ですので、その時の説教を交えながら語らせていただきたいと思います。前置きが長くなりました。
今日の日曜日は全聖徒主日、召天者を記念する礼拝として守っています。お手元にあるように、大岡山教会の召天会員、また関係のある方々のお名前とそのお働きやお人柄がひとこと添えられています。お一人おひとりに歴史があり、信仰があり、出会いと経験があり、そこでの喜びと悲しみの生の営みがあったはずです。それに思いをはせています。しかし、死は一瞬にしてそれらをあたかもなかったかの如く襲います。預言者イザヤは言います。「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。」私たちは、故人のことを忘れることはありませんが、生と死を目の前にして、死に抵抗することが出来ないもどかしさ、時には無力感を感じながら立ちつくしてしまいます。
イエス様が親しくしておられた姉妹マリアとマルタにラザロという兄弟がいました。イエス様はこのラザロをも深く愛しておられました。ある時このラザロが重い病気になりました。姉妹たちは人をやってイエス様に急いで来ていただくようにお願いします。イエス様の力ならばラザロも癒されると信じていたからです。ところが不思議なことにイエス様はすぐに駆けつけることなく、二日間も同じところに滞在され、いっこうに行こうとされません。二日ののち、イエス様は「友が眠っている。おこしに行こう」と言われ、ラザロのところに向かわれます。イエス様はその時点ですでにラザロは死んでおり、「おこしに行く」とは復活させるおつもりだったのです。弟子たちはそんなことは分かりません。「眠っているのであれば、助かるでしょう」と答えます。これに対して、イエス様は「ラザロは死んだのだ」と言われます。この時の弟子たちの動揺はいかばかりだったでしょうか。
イエス様がベタニヤに着かれた時には、すでに最初の連絡から四日が経っており、ラザロは墓に葬られていました。マルタはイエス様を迎えに出て、「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と悔しがりました。そしてそれでも主に対する信仰にゆるぎないことを告白します。するとイエス様は「あなたの兄弟は復活する」と言われました。マルタも「終わりの日の復活の時に復活すること存じております」と答えました。すると、イエス様は「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない」と言われ、これを信じるかとお確かめになったのです。
マルタは急いで家に帰り、マリアにイエス様が来られたことを知らせます。なぜかイエス様はまだ村の中に入ろうとはされません。そこにマリアが走ってやってきました。そしてマルタと同じように「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と涙を流し残念がりました。イエス様はこのマリアの嘆き、人々の悲しみの様子に心動かされて、ラザロを葬った場所に案内するように求められます。洞穴状の墓は大きな石で塞がれていました。イエス様はそれを取り除くように命じられます。そこでマルタは「すでに四日も経っていますから、もう臭います」というと、「もし信じるなら、神の栄光が見られると言っておいたではないか」と言い、祈り、「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれました。するとラザロは当時死んだ者がそうされていたように、手や足に布を巻かれたままで出てきたのです。墓を塞ぐ大きな石は、生と死を分ける石です。イエス様はこの塞がれた扉を開けられるのです。人には開けることが出来ない生と死の扉、これを主は開けられるのです。このラザロの復活の話は、ユダヤ人の間で大騒動になり、指導者たちによるイエス様を殺す計画が具体的に進行し始めるのです。
さて、この中でイエス様は2回「憤りを覚えた」とされています。新共同訳聖書では「心に憤りを覚えて」とあり、新改訳聖書では「霊に憤り」としています。それではイエス様は何に憤られたのでしょうか。預言者が預言する時の霊的集中の状態を示す言葉と考えられますし、ある注解書では死に対しての憤りと考えています。
死は人からすべてを奪い取ります。それは本人だけからだけでなく、家族や親しい者からも奪い、その人の存在と人生をあたかもなかったかのようにしてしまい、人を深い悲しみと喪失感に陥れます。このような死に対してイエス様は憤られたのです。そして死と真正面から対決されます。ラザロを復活させるのです。死は人にとって絶対的なものです。しかしイエス様はこの絶対的な死に勝利されるのです。
人の命は有限です。若いころはそれに気が付かず病弱でない限り死を考えることはなく、人生が永遠に続くような感じがしています。しかし年齢を重ねるごとに自分の死が迫っていることを感じます。私たちの人生は80年、90年です。神様の歴史を考えるならば、一瞬です。しかしその一瞬の積み重ねが神様の歴史を作り上げています。私の人生は神様の歴史の一部なのです。そして一部でありながらもそこに用いられ、神様の愛と恵みが注がれているのです。ですから私たちの命と人生はとても尊いものなのです。
しかし死とそれに伴う出来事は、私たちからすべての希望と可能性を奪う最強のものでもあります。だからこそ死は私たちにとってタブーであり、死についての話題を避けてしまうのです。しかしイエス様は復活という仕方で死と対決し死に勝利されるのです。ラザロの復活はことばで言うならば「小文字の復活」です。復活した彼もやがてはまたみんなと同じように死んだからです。しかしイエス様の復活は「大文字の復活」です。イエス様の復活は永遠の死からの勝利だからです。そしてそのような復活の力をもったお方が「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」といわれるのです。私たちにとって生と死の狭間が全てです。だからこそ一分一秒でも長く生きたい、生かしたいと願っています。しかし、神様にとって人の存在は死に制限された一時ではないのです。生と死を超えて生きる存在である命を得させるために神様は私たちのもとにイエス様を送られたのです。その結果、信仰によって私たちは死を絶対的なものとは考えず、死を超えて神様のもとで生きることが出来ると信じるのです。イエス様は復活したラザロから包帯を解くように命じられます。それは死によってもたらされた様々な縛りと限界をイエス様ご自身が解き放って下さったことをあらわしています。
私は毎年何人かの方々の臨終とお葬儀に関わらせていただいています。自分も何度か大きな手術をして死について考えさせられました。ですから私にとって死は他人事ではありません。自分が大きな手術をする前に、死について聖書はもちろん多くの文献を読み漁りました。そこで復活を心から信じることが出来、その黙示録の言葉通り死と復活への希望を持つことが出来るようになりました。死は確かに親しかった人たちの別れの時ですから寂しいことには違いありません。しかしもはや恐れの対象ではなくなったのです。
召天者記念の礼拝を守る私たちは、修道院で交わされていた挨拶の言葉メメント・モリ(死を覚えよ)との言葉通り、死を見つめる時にいます。しかし、死はキリストの復活によって永遠の命の門、入口となりました。悲しみと喪失感、無力感から立ち直ることは本当に難しいのですが、しかしだからこそ私たちはキリストの完全勝利である復活を信じたいのです。この復活信仰から、絶対的な勇気と喜びがわき起こってくるのです。そしてこの信仰は亡くなられた方々と私たちを隔てる壁を取り壊し、相まみえることが出来るのです。