2025年2月23日 説教 大和友子神学生

神様の助けを信じて

ルカによる福音書 6: 27 – 38

「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」私たちの常識では不可能なことを命じられます。
「報恩謝徳」という言葉があります。受けた恩や徳に感謝して報いることを意味します。生きていること自体、様々なご縁、恩に支えられているのであるから、その恩に感謝して報いること、恩返しをすることの大切さを教えます。これなら納得はいきますが、敵を愛すること、憎む者に親切にすること、悪口を言う者、侮辱する者のために祈ることなど、常識的にはできません。なぜ人間の常識ではできないことをイエス様は命じられたのでしょうか。

1994 年、アフリカのルワンダで起こったジェノサイドのことをお話したいと思います。
ルワンダには、フツ族、ツチ族、トゥワ族という三つの民族が住んでいました。この三つの民族に言葉、宗教、文化の違いはなく、多少肌の色が薄い者が典型的なツチ族で、肌の色が比較的濃い者が典型的なフツ族とされていました。しかしお互いの民族間で居住地域が分けられているわけでもなく、結婚することもありましたからその区別は曖昧でした。しかし第一次大戦後、ベルギーがルワンダを植民地とした頃からツチ族が優遇され、教育面でも税制も、職業選択でも差別されるようになりました。
1994 年 4 月 6 日、今から 30 年前、ルワンダのハビャリマナ大統領とルワンダの隣国ブリンジのンタリャミラ大統領が暗殺されたことがきっかけとなり、約 100 日間にわたって、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって多数のツチ族とフツ穏健派が殺害されるという大虐殺ジェノサイドが起こりました。そのころ、ルワンダ国民の約 84%がツチ、15%がフツ、1%がトゥワ族でした。フツ族は、まずフツ穏健派は裏切り者として真っ先に殺害し、フツの市民も虐殺に協力することを強いられました。虐殺に協力しなければ裏切り者とされ、自分が殺されてしまうので、フツの人達は隣に住んでいる人、今まで一緒に同じ村や町で生活していた人であってもツチであるというだけで、殺さなければならない状況に追い込まれました。ライフルを与えられて銃殺することもありましたが、多くの人は斧や鉈など身近な道具でたたき切ることで殺害したり、手りゅう弾を用いたりすることもありました。しばしば教会や学校に避難して集団で隠れているところを発見されて、フツの武装集団からまとめて殺されることもありました。ルワンダ虐殺の犠牲者は、殺害に関する記録がとられていなかったので、100 日間で虐殺の犠牲者は 117 万 4000 人だったという記録もあります。しかし国連ではその犠牲者の数は、80 万人だったとしているので、正確な犠牲者の数は分かりません。「男性、女性、子どもすべてのツチ族を抹殺し、その存在の記憶全てを抹消しようとする試みだった」のです。117万4000人の人が100 日間に虐殺されたと考えると、1 日あたり 1 万人、1時間あたり 400 人、1 分あたり 7 人が殺害されたことになります。このルワンダ大虐殺ジェノサイドは、首都キガリへ駐屯していたルワンダ愛国戦線本体が 7 月 4 日に制圧し、戦争終結宣言を行いました。最初のきっかけとなった大統領の暗殺からちょうど 100 日後に終結したということになります。
しかしこのような虐殺は終結してすぐに終了、平和な社会を取り戻すことにはなりません。約 200 万人のフツが、ツチによる報復を恐れルワンダ国外に難民として脱出しました。また殺害や破壊行為に加担した罪で有罪判決を受けた人々は、裁判判決後、再び地元の村に戻って来て生活をすることになりました。どちらもまたいつ同じようなことが繰り返されるか恐れと不安の中で生活せざるを得なくなりました。

日本バプテスト連盟洋光台キリスト教会の会員である佐々木和之さんは、エチオピアの農村指導にあたっていました。ルワンダ大虐殺ジェノサイドのことを知り、エチオピアでの仕事をやめ、イギリスのブラッドフォード大学で平和学を学び、2005 年にルワンダに渡り、現地のキリスト教 NGO の REACH の一員となり、平和構築のための働きを始められました。
加害者であるフツの人たちは、裁判後、地元の村に戻り、何等かの地域奉仕をすれば刑務所に拘留されないという判決が下されました。佐々木さんは現地の REACH の仲間と地元の教会の人たちと共に「償いのプロジェクト」と立ち上げました。最初に始めた「償いのプロジェクト」は、加害者が被害者家族のために家造りをするという取り組みです。家造りといっても重機や技術がないため、レンガを一つ一つ積み上げていくような地道な作業で、多くの労力と時間が必要とされました。炎天下で加害者が汗をかき、懸命に家造りをする姿を被害者のツチの人々は身近に見、そして一緒に作業をすることを通して、少しずつ心の癒しが与えられ、加害者であるフツの人たちを赦すことができるようになるのではないかという考えから始まったプロジェクトです。この「償いのプロジェクト」は、虐殺生存者被害者の回復のために有意義であると同時に、加害者である受刑者の更生という観点からも意味あるプロセスとなっていき、家造りが終わると、養豚や花の栽培などの農作業へと活動は広がっていきました。
佐々木さんの奥さんの恵さんは、ウムチョ・ニャンザという工房を立ち上げ、女性たちと共に華やかなアフリカ独特の美しい布地を使って、トートバックやブックカバー、エプロンなど「女性たちの癒しと和解・共生」のプロジェクトとして商品をつくり、販売しています。細かい縫製を教え、確かな技術を身に付けて商品として日本で販売できるようにしました。ここでは 7 人の加害者の家族と 7 人の被害者の残された家族が一緒に作業をしています。
サルビアナさんは、虐殺のときに鉈で切り付けられ、傷を負わされました。このサルビアナさんに向かって鉈を振り下ろしたのは、イザヤさんと言う人です。イザヤさんは、サルビアナさんに直接会って、謝りたいと思っていました。しかしサルビアナさんは、直接会って謝罪を受けることをどうしても受け入れることはできないと考えていました。しかし二人は今も虐殺が起こった同じ村で住み続けています。サルビアナさんがイザヤさんの謝りたいという気持ちを受け入れるまでには時間がかかる、いつになるかわからない、しかし神様の助けを信じてサルビアナさんの心が開かれる日がくることを一緒に祈り、待っています。赦すということはとても難しいことです。虐殺の出来事から 30 年たっても、大切な家族が殺されたこと、しかも自分の目の前で残虐な仕方で殺された出来事が記憶から消えることはありません。それでも佐々木さんは、両者と共に祈り、働きかけ続けています。赦すことは急ぐことではない。無理をすることでもない、時間をかけていい、神様の助けを信じ、全てを赦すことはできなくてもて出来る範囲で赦すことができればいいということを信じて活動をしています。
アフリカ人は、別れ際に「We are together」と挨拶を交わすそうです。離れていてもいつも一緒であること、共に祈り、共に和解を望む者であることを願っているのです。

敵を愛すること、一方の頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けること、上着を奪い取る者には、下着をも与えること。これはイエス様がなさったことです。イエス様は自分を非難する人、受け入れない人であっても、全ての人を分け隔てなく愛されました。人々から蔑まれ、疎まれ、嫌われている人のところにイエス様の方から近づかれ、手を差し伸べ、全てを赦し、愛し、友となられました。イエス様は何一つ罪を犯していない、もちろん死刑に当たるようなことは何もしていないにもかかわらず、洋服をすべて上着も下着もはぎとられ、全身を鞭うたれ懲らしめられ、もっとも残虐な十字架刑を受けられました。そして十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と赦しを求められました。御自分が命じられたこと「敵を愛しなさい」ということを御自分で私たちに示して下さいました。
常に何等かの見返りを求めてしまう私たちには、敵を愛することは、できることでありません。敵を赦すことは時間が解決してくれることでもなく、無理やり強制してできることでもありません。ただ神様がそこに働いてくださり、助けてくださることを信じて実現することです。「We are together」私たちが共に祈るとき、和解を望むとき、赦しを必要とするとき、そこには神様も共にいてくださいます。神様の助けを信じることによって初めて赦すこと、愛することは可能になるのです。