信仰の出会いの祝福
ルカによる福音書 1: 39 – 45
「長いものには巻かれろ」「寄らば、大樹の陰」と言いますが、どちらも日本人の自立心のなさ、依存的な傾向を表す言葉であろうと思います。もちろんすべての日本人がそうだと言うのではありませんが、多くの日本人は目立つことを嫌い、大勢に従う傾向があります。自分がどう考えるかよりも他人がどう見ているか、世間体を気にするのです。人と同じであることを求めるのです。このような生き方は、自分で決めることが少ないですから自分が強くなる必要はなく、心のどこかで責任転嫁をしていますから一面楽な生き方ですが、一方で絶えず周りを気にして生きなければなりませんから、それはそれで不自由な生き方でもあります。それでは本当で自由で解放された生き方とはどんな生き方でしょうか。
さて、ルーテル教会の音楽監督であった J. S. Bach の教会カンタータ147番に「心と口と行いと生きざまをもって」という有名な曲があります。そのコラール(合唱)「主よ、人の望みの喜びよ」の部分は、教会讃美歌266番にものっています。このカンタータは、もともと「マリアのエリザベト訪問日(7月2日)」の礼拝のために作られた讃美歌でした。現在のカトリック教会では5月31日がその日に定められています。エルサレムから少し離れた山里にエンカレムという町があり、そこがエリザベトが住んでいた町とされ、現在「訪問教会」という大変美しい教会が建っています。
今日は降誕主日ですが、この礼拝では待降節第四主日の聖書日課を用いました。
福音書の日課は、天使ガブリエルによって妊娠していることを伝えられたマリアが、親戚のエリサベトを訪ねた時のことが記されています。エリサベトは子どもがないままで高齢を迎えました。すでに妊娠できる年齢を過ぎていましたが、聖霊の働きによって身ごもっていたのです。当時女性は子どもを生むことが神様に祝福されていることの証しでしたから、エリサベトはこれまでずいぶんと肩身の狭い思いをしてきたことでしょう。では、今妊娠したからよかったと素直に喜べるかというと、そうではありません。これは想像ですが、高齢になったといっても、おばあさんです。人々は疑い、場合によっては「いい歳して」と笑いものにするかもしれなかったと思うのです。24節で五ヶ月の間身を隠していたのはそのようなこともあったのではないかと思います。子どもができてもできなくても彼女は辛い境遇であったと思うのです。結果的には58節にあるように多くの人に祝福されるのですが、それまでの日々は複雑であったでしょう。
マリアはどうかいうと、エリサベトとは反対に、まだ若く、ヨセフという婚約者はいたものの、まだそのような関係にならないうちに妊娠していることが知らされるのです。マリアは身に覚えのないことに驚いただけではありません。当時は今日のように性に対して寛容な時代ではありませんでしたし、婚約が大きな意味を持っていましたから、もしマリアが婚約していながら妊娠したことが人に知られると、姦淫の罪を犯したとして彼女は律法に基づいて石うちの刑罰に処せられてしまうのです。それでマリアの妊娠を知った婚約者のヨセフは、密かに離縁しようとしたのです。いずれにしてもマリアは自分の身に起きたことを誰にも相談することが出来ず、孤独と不安の内にあったのです。しかし、親戚のエリザベトも聖霊の働きによって妊娠するという自分と同じような境遇にあることが天使によって知らされます。マリアは急いでエリザベツの住む山里に向かいました。この山里は、今日「エンカレム」という名の大変美しい村とされており、「マリアの訪問教会」という美しい教会が建っています。マリアがエリサベトに会い、挨拶をすると、エリサベトのお腹の子がおどりました。そしてエリサベトは「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と声を上げたのです。
この二人の女性に共通する点は、神様の不思議なみ業によって起こるはずのないことが起こったということです。もちろん聖書もそして教会も、そのことは特別に素晴らしいこととして描き、受け取ってきました。しかし人間社会の視点から見るならば、それは非常識、あるいは不道徳なことが二人の女性の上に起こり、彼女たちには冷たく厳しい視線が投げかけられた出来事であったのです。その意味で二人の女性は世間から孤立した辛い立場にあったと言えるのです。しかし二人はそのままで終わりませんでした。二人の間には、神様の約束と祝福そしてそれを信じる信仰がありました。たとえ自分たちの身に理解を超えるようなことが起こったとしても、他の人たちがそれを理解せず、自分たちに批難の目を向けようとも、それを神様の出来事として信じた二人にとっては、喜びの出来事以外の何事でもなかったのです。
自分の身に神様の出来事が起こる。たとえそれが救い主の誕生というようなとてつもなく大きなことではなく、身近な小さな出来事であったとしても、その出来事を私に与えられた神様の出来事として受け取る時には、それは恵みであり祝福ではないでしょうか。私たちはどちらかというと毎日の仕事や暮らしを大変だ、大変だという思いで過ごしているかもしれません。そして時にはそれを深刻に受け止め、神様どうしてこのような試練をお与えになるのかと愚痴や嘆きしか出てこないような時もあります。しかし、その出来事がわたしと神様との間に起こった出来事として受け取るならばそれは私たちにとっても見方が変わるのではないでしょうか。神様がこの二人の女性を洗礼者ヨハネの母として、み子イエス・キリストの母として選ばれたように、この私を神様の出来事の相手、神様の出来事の起こる場所として選んでくださったのです。
この一見とんでもない境遇となった二人の女性の間には神様が立っておられます。その意味では、ここに教会があると言っていいと思います。教会の教えは世間の理解と常識を超えています。なにしろ目に見えないものを「ある」と言い、パンとぶどうジュースをキリストの血と体というのですから、それを普通の感覚で理解しろという方が無理な話です。しかし私達はそれを信仰によって受け止めます。それをいぶかしげに見る視線があったとしても、私達の前には信仰による救いの喜びがあるのです。この信仰による救いの喜びが、私たちをすべてのことから自由にし、勇気と励ましを与え、祝福をもたらすのです。