2024年8月25日 説教 大和友子神学生

いのちの言葉

ヨハネによる福音書 6: 56 – 69

8月最後の主日となりました。厳しい暑さの日が続きますが、皆さんどのような夏を過ごしておられるでしょうか。
聖書日課は、7月末の5千人の給食の奇跡から始まり「命のパン」についてのみ言葉が福音書日課として選ばれていましたが、今日が最後となります。私は、7月27日から卒論執筆のために軽井沢で過ごしているので、日曜日は日本基督教団軽井沢教会で礼拝を守っていました。軽井沢教会は、ダニエル・ノルマン宣教師によって特定の宗教的立場を越え、各派共同して働く教会として設立され、1929年にヴォ―リスの設計によって建てられた建物を今も使用している教会です。軽井沢教会の聖壇には軽井沢彫りの聖書台が置かれています。軽井沢彫りというのは、軽井沢を避暑地として親しんだ外国人宣教師たちの要望から生まれ、100年以上にわたり、軽井沢の別荘やホテル、教会で愛用されているといいます。教会にあるものは、おそらく宣教師が特注で職人に作らせたものではないかと思います。その聖書台にはギリシャ語で Ἐγώ εἰμι ὁ ἄρτος τῆς ζωῆς. 「わたしは命のパンである」ヨハネ福音書6章48節のことばが彫られています。毎週この聖書台の言葉を見ながら、今日の説教のことを思いめぐらしていました。

今日の福音書日課は 56 節から 69 節までですから、大きく3つに分けてお話ししようと思います。まず 56 節~59 節から見ていきましょう。わたしの肉を食べ、私の血を飲む者、つまり、キリストの肉と血、聖餐に与る者は、キリストの内におり、キリストもまたその内にいるということが宣言されます。55 節で、「私の肉を食べわたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」と言われていることをさらにキリストの内にいるということ、キリストと一体であるということを宣言します。「天から降って来たパン(58 節)」とは、イエス・キリストが、天から降って来たパンであるということ、つまり神の子であるイエス・キリストがこの地上にやってきたということです。かつてモーセに率いられてエジプトから救い出されたイスラエルの民に神様から与えられたパンと同じように天から降って来た神様から与えられたパンです。しかし先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違い、この命のパンを食べる者は、永遠に生きる。イエス様は私たちに命を与えることができるお方であるということです。

60 節~65 節には、この言葉を聞いた弟子たちの躓きが記されています。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」かなりひどい反抗的な言葉です。「こんな話」というのは、その前に書かれている 51 節~58 節の言葉を言っているのでしょう。イエス様が命のパンであるという議論、特にモーセと対にして、天から降って来た神様から与えられたパンと言う意味では同じであるけれど、イエス様は人々に命を与えることができる、神と等しい方であるということです。弟子たちは 5 千人の給食の奇跡を目の前で見ていました。そしてその直後には、湖の上を歩かれるイエス様の姿を見ていました。そのような奇跡を見て集まってきた人々は、イエス様の語られる言葉、イエス様が永遠の命を与えてくださる神様と同等のお方であるということは受け入れることが出来なかったのです。イエス様はこの弟子たちの躓きの言葉を聞き逃すことはありませんでした。「人の子がもといた所に上るのを見るのならば・・・(62 節)」ここでは文章が途中で終わってしまっています。これはとても珍しい記述です。この「・・・」は一体何をイエス様はこの後言おうとしたのでしょうか。「人の子がもといた所に上る」というのは、「十字架に上げられる」「天に上げられる」これから起こるであろう、十字架と復活、そして昇天のことを指しています。この「・・・」には「もっと躓くに違いない」というような言葉が入るのでしょう。すでに「わたしは命のパンである」と言う言葉で躓いてしまっている弟子たちにとって、十字架と復活、そして昇天の出来事は、ますます躓きの原因になるでしょう。論理的にイエス・キリストが「天から降って来た神の子」であることも、復活して神のもとに上げられるということも証明できることではありません。しかし逆にイエス・キリストが神の子である、神様と同等のお方であるということも証明することはできません。ここで大切なこと、問われていることは、イエス様が「命のパン」であること、神の子であること、永遠の命を与えてくださる方であることを証言している人々の言葉や、それを信じて生きる人々の生き様を見ながら、信じて生きるものとなるかということが問われているのです。

66 節以降を見ていきますと、さらに深刻な事態が記されています。「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」イエス様に従ってきた人たちは、このころには大きく膨れ上がっていました。そのことは5千人の給食の奇跡がよく表しています。男の人だけで5千人だったのですから、女の人子どもも合わせればその 2 倍から 3 倍はいたことが予想されます。そして人々はイエス様のいらっしゃるところおっかけのようにどこまでもついてきていたのです。海を渡ろうとすれば先回りをして陸路を通って集まってきました。しかしそれは病気を治してくださる、この世で生きるための食べ物を与えてくださるという目に見えるしるしを見て信じただけであって、イエス様の言葉を理解し、信じたからではなかったのです。そしてイエス様の言葉に躓き、こんな話、聞いていられるかと言って、あっという間に離れていってしまったのです。
多くの人々がイエス様に失望し、憤慨して去ってしまったあと、イエス様は 12 人の弟子たちに、「あなたがたも離れて行きたいか(67 節)」と言われました。シモン・ペトロはこう答えます。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています(68 節)」ペトロは、イエス様の語る言葉は永遠の命の言葉であること、そしてイエス様こそ神の聖者、聖なるお方であること、そのことを信じ、そして知っていると告白します。

ルターの説教のなかに、「死の準備のための説教 一五一九」という説教があります。宗教改革の発端となったあの「95 か条」の書かれた 1517 年の翌々年に発表されました。その書かれた背景などは省きますが、ルターのこの説教は、現在ひとつの流行言葉のようにもなっている終活に通じるところがあります。ルターは、この説教の初めに、この世との別離、特に財産の処分の問題について記しています。この世での財産の整理は、死後遺族近親の間でけんか争論などいざこざの種を残さないために必要なことであるといいます。そして次に人間関係の修復をするように勧めます。和解のないことが、私たちの魂がこの世の面倒を背負ったままになることだといいます。この説教でのルターの強調点は、死に直面したものが頼るべきはサクラメントであるということです。宗教改革によってサクラメントは、洗礼と聖餐の二つに絞られて理解されるようになりますが、この段階においては、中世の教会の理解が残されていますので、ルターは「告解、聖餐、そして終油」という3つのサクラメントについて具体的に語ります。ルターにとって、サクラメントは「キリストの生命があなたの死を、キリストの従順があなたの罪を、キリストの愛があなたの陰府を自らに背負うて、これらを克服したもうことのしるし、その保証」です。サクラメントは人間の功績ではなくて、神様から一方的に与えられる救いの賜物です。サクラメント、聖餐によって死の恐れも不安も取り除かれ、慰めと力を得られるのです。
ここ数回の「命のパン」について語られるヨハネ福音書日課で私たちは聖餐の意味、またルーテル教会の聖餐理解を学んでまいりました。イエス様は、聖餐によって、イエス様の肉と血によって、私たちに永遠の命が約束されていることを繰り返し語られました。私たちは、礼拝に集い、いのちの言葉であるみ言葉を聞き、そして聖餐の恵みに与ることによって新たに生きる力を与えられます。聖餐は、見えるみ言葉と考えられています。礼拝では見えないみ言葉である説教を聞き、見えるみ言葉である聖餐に与り、生きる力が与えられるのです。それは、死に直面したときにも頼るべきものはサクラメントであるとルターが語った言葉に通じます。

5千人の給食の奇跡、病人が癒される奇跡、多くのしるしは、人々にとって一時的に大変な魅力となり、多くの人々がイエス様のもとに集まりました。しかしイエス様の語られる言葉に人々は躓きました。私たちはイエス様の語られる言葉、永遠に絶えることがないいのちの言葉によって生かされているのです。いのちの言葉、永遠に続くいのちの言葉をいただいて、信じて知ることによって、今週もここから歩み出してまいりましょう。