2024年7月28日 説教 鈴木連三氏 (信徒)

人はパンで生きる

ヨハネによる福音書 6: 1 – 15

特別な箇所

イスラエルには聖書に書いてある様々な出来事を記念した教会があります。これらは西暦 300 年代のキリスト教公認の頃に建てられたものが多いのですが、どのような出来事がこれらの教会のために選ばれたのかを考えると、当時のクリスチャンがどの出来事を重要に思っていたかが想像できます。イエス様降誕の洞穴、山上の垂訓の山、十字架に架かったゴルゴダの丘、そのようなところと思われる場所が選ばれている中にガリラヤ湖畔カペナウムも入っています。ここには『パンの奇跡教会』が建っています。今日の福音書の日課である『五千人の給食』がとても重要視されていたことがわかります。
この出来事が特別であることを示すことがもうひとつあります。それは四つの全ての福音書にこの出来事が書かれていることです。実は今日の日課・ヨハネによる福音書は他の三つと比べて共通の箇所が非常に少ないのです。マタイやルカによる福音書は最古の福音書であるマルコによる福音書に追加の情報や編集句を加えて著わされました。こういった成り立ちからこれら三つは共通の目線で観る=共観福音書と呼ばれ、丸写しに近い箇所も複数見られます。これに対しヨハネによる福音書は独自の記事が多く、共通の記事があったとしても多くは内容や順序が変えられています。これは書かれた年代や想定される読者の違いからくる著者の編集意図によるものです。
そういうわけで、四つの福音書全てに書かれている箇所というのは多くはなく、洗礼者ヨハネ、宮清め、イエス殺害の計画、受難物語といったイエス様の生涯に関する事件の記事がそれに当たります。これらの中に今日の『五千人の給食』の記事が含まれているのです。つまり、ヨハネによる福音書の著者もこれは外せないと思った重要な箇所と言えます。このことからも『五千人の給食』の奇跡は福音書成立時の教会の人々にとって、最も重要な奇跡・メッセージのひとつだったことがわかります。
この奇跡物語の一般的な解釈は『私たちの持っているパンは少ない、私たちの力は小さい、でもそんな弱い私たちでも神さまは用いてくださる、大切な務めを果たすことができる。』という理解だと思います。ポイントと思われるのは、弟子たちが『食べるものがありません』とイエス様に言ったとき、共観福音書では『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。』とイエス様が答えるところです。これは、『神様は私たちに対し互いに与え合い、仕え合い、愛し合うことを求めている。神様自身の直接的な介入ではなく、人間同士が愛し合うことによって神の国が作られることを、神様が望んでおられる』ということです。

ヨハネ独自のテーマ

でもこの解釈の場合のキーワード『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。』という言葉は今日のテキストであるヨハネによる福音書にはありません。この言葉の代わりは『この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか』というフィリポを試す言葉です。“人につくせ・人に仕えよ”という意味合いはこの問い掛けからは感じられません。
しかし、ヨハネによる福音書には独自の内容、この出来事が起きた季節についての記載があります。4 節にある『ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。』です。過越祭は旧約聖書に書いてある出エジプトの出来事を思い起こすための祭事、ユダヤ人にとって非常に大切な祭事です。過越祭ではユダヤ人は奴隷状態から解放されてエジプトを脱出したことを祝い、その時の苦難を想起し、神に感謝します。過越祭の日の夕食を家族と食べることは、自分たちは自分は神様の前でどのような者なのか、自分たちは神様に救い出され愛された者だということを毎年繰り返し確かめる大切な務めなのだと思います。
福音書が書かれた当時の読者は過越祭と聞けば “過ぎ越しの食事”をすぐに思い浮かべることでしょう。そしてこの“過ぎ越しの食事”と『イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。』という 11 節の言葉が合わさると、現代の読者である私たちは聖餐式を思い起こすことになります。ヨハネはこの五千人の給食は聖餐式だといいます。五千人の男性と彼らと一緒に来ていた女性やこどもたちを満たし、切れはしだけで 12 のかごをいっぱいにしたパン…。12 というのは特別な意味を持つ数字だったので、その場にいた人に加え、世界中全ての人を満たすパンというのでしょうか。そう、このパンは私たちを生かす命のパン、この奇跡は聖餐式の先駆けといえます。

生きるパン

私の祖母・多喜枝のことをお話しさせてください。彼女は鈴木家の初代のクリスチャンで、教会の前に住み、毎週欠かさず教会に通っていました。当時は年代の近い仲間たちも同じように礼拝に出席していました。90 周年誌に管野恵子さんがまとめてくださったナオミ会のことです。明治生まれの彼女たちは礼拝堂のベンチに正座して出席していましたが、冬には、座る席がストーブの前の暖かい場所に移ります。その席はちょうどいい暖かさでしたので、説教が長くなってくると、みなさん気持ち良くウトウトなってきます。私の父・重義は家で自分の母に向かって『そんなことではせっかく礼拝に出ても意味はないよ』と軽くからかうようによく言っていたものでした。
そんな祖母も 90 才を過ぎるとほぼ完全に寝たきりになってしまい、礼拝にも出られなくなりました。母・広子も付き添いのため、礼拝を休み家に残りました。あるとき母が私にある提案をしました。『おばあちゃんを聖餐式に連れていきたいのだけど…手伝ってくれる?』次の月から私と母は、祖母を聖餐式に連れ出すことにしました。
祖母の寝ていた部屋は道を挟んで礼拝堂のすぐ向かいにありました。説教が終わってオルガンが鳴ると聞こえてきますので、それを目安に母は祖母の準備を始めます。私もそのタイミングで家に戻り、母と二人で祖母を車いすに乗せ、段差の多い玄関を二人で車いすごと担いで祖母を降ろします。そうして車いすを押して礼拝堂に連れて入るとちょうど聖餐式が始まるタイミングになるので、無理なく無駄なく聖餐にあずかることができました。このような聖餐式を祖母が亡くなる直前まで続けることができました。
なぜあの時母が祖母を聖餐式に連れ出したいと思ったのか、今となってはわかりません。ただ、あの数年間続いた聖餐式を通して母と私は“祖母はこのパンによって教会の中で生きている、ほんの短時間ではあるが礼拝に出ている確かな意味がある”ことを理解… というより感じることができました。パンによって生きる、パンによって私たちは神様に愛されている存在であることを実感したのです。
イエス様は言います。『私は生きるパンである』これはこれから約一ヶ月間続く日曜日の日課を流れるテーマです。『生きるパン』であるキリストとはどういうことか、そしてそれをいただいて生かされる私たちは神様にとってどういう存在なのか、感謝しながら考える時として過ごしたいと思います。