神の祝宴
ルカによる福音書 15: 1 – 3, 11 – 32
昨今私たちの記憶に深く刻まれた、ウクライナの軍事侵攻は世界を震撼させました。日本も避難民の受け入れ国に、緊急人道支援を行うことになりました。そのような中で、ウクライナの北東部にあるソチネコ保育園・幼稚園にクラスター爆弾が落とされました。クラスター弾の使用は、多くの国で禁止されています。この攻撃は戦争犯罪、人権侵害に当たると言われています。生まれてからたった20日で死んでしまった赤ちゃんもいるとのことです。戦争さえなければ、生きる事のできた大切な命が失われました。国際秩序の根幹が保たれなければ、第三次世界大戦も起こりかねないという不安な思いが頭をよぎります。このような世界情勢の中で、教会暦は四旬節第4主日を迎えています。四旬節というのは、復活祭の40日前の灰の水曜日から、復活祭の前日までの期間を指しています。この期間はイエス・キリストの受難を覚える時です。イエス様が荒れ野で過ごした40日にちなんでいます。旧約聖書の出エジプト記でも、民は40年間さまよい、カナンの地に到着するまで神様からのマナを食べました。先ほど朗読されました旧約聖書の箇所ヨシュア記には、約束の地に着いた日にイスラエルの民が、土地の産物を食べ始めた時にマナが絶えたと記されています。そして過ぎ越しの日を祝いました。これは40年の旅が正式に終了したことを意味しています。
今日与えられたルカ福音書も、弟が放蕩の末に、父のところに帰りつきます。今日の箇所の譬えの直前には、見失った羊の譬えがあり、失くした銀貨の譬えがあります。三つの譬えの共通のモチーフは、見失ったものが見つけられる事です。その中でも放蕩息子の譬えは「物語の中の真珠」と呼ばれているそうです。多くの人がこの譬えの中に、自分自身の人生の真実を学び取ってきたからではないかと思います。それは単なる人生論に終始するのではない、一人ひとりに与えられた神様の救いの物語だからではないでしょうか。
今日の聖書の箇所を読むと、徴税人や罪人を招いて食事をするイエス様の態度を、ファリサイ人と律法の専門家が非難するところから始まりました。彼らは「一緒に迎え入れて、食事までしている」と言います。彼らは文字通り律法の研究者ですので、イエス様が徴税人や罪人と食事をするということは、ただ一緒にいるということだけではなく、彼らを受け入れているという事を見抜いていました。彼らは罪人と食卓で交わるという事に、なぜこれほどまでに不快感をもっているのでしょうか。確かに徴税人というのは、軽蔑される仕事をしていました。税金取として、異邦人と接触し、他の国の人のために働き、私腹を肥やしていたのです。裏切り者というレッテルを貼られていたこともありました。罪人というのは、単に人物の評価ではなく、モーセの律法違反で、ついに会堂から追い出されてしまった者なのです。そのためパリサイ人と律法の専門家は徴税人や罪人たちを忌み嫌いました。イエス様が、そのような人々と食事をするというのは、豊かさの象徴ではなく、罪人を完全に受け入れるという事を意味したのです。パリサイ人や律法家は、徴税人や罪人を見て「主よ、わたしたちが彼らのような者でないことを感謝します」と心ひそかに思えるほど、立派な人々だったのです。しかし、イエス様は信仰的な優越感に浸っている心を見抜くかのように、放蕩息子の譬えを始めました。
この箇所は、父には二人の息子がいるとしっかりと枠づけをしてから始まります。このことによって、父は二人の息子を同じように愛していると定義します。二人の息子の内の弟は「私のもらうことになっている財産の分け前をください」と言いました。ユダヤ教の慣習に従えば、本来は父親が死んだ後に受けとられるものであります。弟は遺産の三分の一を受け取ると、すべてお金に変えて遠い国に旅立ちます。そこで放蕩の限りを尽くしました。弟は遠い国で財産を無駄遣いしてしまい、文字通り自分の思うままにふるまい、身を持ちくずしていきます。何もかも使い果たした時、弟には大きな災難が降りかかりました。その土地に大飢饉が起こって、彼自身が困窮し始めるのです。そのために、どこの誰ともわからないところへ仕方なく身を寄せました。そこで豚の世話をさせられます。豚はユダヤ人にとって忌み嫌う不浄の動物でした(レビ記11:7)。豚の食べるイナゴ豆というのは、豆のツルが付いたままの状態を指しています。当然豆の部分が少なく、長いツルのイナゴ豆は基本的に動物の餌にされ、時には貧しい者も食べていました。弟は、豚の餌を食べて空腹を満たさなければならないような、みじめな状況があり、誰も食べ物をくれる人がいないという孤独の中にありました。命の危機だけでなく、愛のない人生の中で、帰るべきところに気が付きます。「お父さん私は天に対してもまた、お父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇人の一人にしてください」。と父の元へ帰ります。父は弟の姿がまだ遠くにあるのに、その姿を見つけます。父は弟を失い心が痛んでいました。しかし弟を見つけた瞬間に喜びに変わりました。憐れに思い走り寄り、首を抱き接吻をしたのです。そして、責める言葉を一言も言わず、直ちに僕たちに「急いで行って、一番良い服を着せなさい。手に指輪をしてあげなさい。そして履物を履かせなさい」と言いました。父は弟に社会的地位や権威、自由までも与えたのです。さらに父は祝宴の食卓のメインともいえる、肥えた牛を屠り食べて祝おうと言います。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」と言い、盛大な祝宴を始めました。
ところで、兄の方は畑にいましたが、いつもと違う家の様子に気が付きます。音楽や踊り、人々のざわめきが兄を刺激します。弟はダンスも音楽も習ったことのない、頭の固い兄の元から、逃れなければならなかったのかもしれません。兄は、弟の帰還とそのことを象徴するかのような祝宴が開かれていることを知るのです。僕(しもべ)に聞くと、「弟さんが帰ってこられ、無事な姿で迎えたので、お父上が肥えた牛を屠られたのです」この言葉に兄は怒り立腹します。祝宴が行われている家にも入ろうともせず父に反発します。この譬えの中で二人の兄弟の性格を分析する必要はないもしれませんがあえてするなら、兄は弟が帰ってくるのは許せても、肥えた牛でなく、食べ物と水でもいいのではないか。新しい服でなくてもいいのではないか、古着のようなもので充分だ。灰をまとうのであって、指輪でなくてもいいのではないか。涙があるのであって祝宴ではないと、言葉にならない言葉が兄の心を占めていたのです。兄は気弱でへこみやすい青年だったのかもしれないと思います。兄は理屈ではわかっていても、父の弟に対する寛大さや赦しを見て、気分良く過ごすという事が難しかったのだと思います。兄は父のそばにいながら父と共いる喜びが分かりません。兄は、「この通り私は何年もお父さんに仕えています。言いつけは全て守ってきたというのに、友達との宴会に子ヤギ一匹すらくれなかったではないですか。ところがあなたはあの息子が娼婦どもと一緒に身上を食いつぶして帰ってくると、肥えた子牛を屠っておやりになる」と不平不満を言います。すると、父はそんな兄に愛を示します。「お前はいつも私といる。私のものは全部お前のものだ」。と言い、続いて「だが、死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」と言います。父の非常識なまでの愛に驚きすら覚えます。
もう一度この譬え話をイエス様が語っている聖書の場面に戻って、思い出してみましょう。
ファリサイ人と律法学者が「この人は罪人と食事をしている」と言いがかりをつけてきました。そこでイエス様がファイリサイ人と律法学者を戒めるために語った譬え話でした。イエス様は放蕩息子の譬え話を通して、悔い改めて神様に立ち返った者には、誰でも神様の愛と救いが約束されていることを彼らに諭したかったのです。ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、画家レンブラントは、この譬えに感動してあの有名な「放蕩息子の帰還」を制作したと言われています。その絵は、淡い光が父と弟を照らし、弟はひざまずいて父の懐へかがみこんでいます。死んでいたのに生き返った弟の肩には、抱くように父の両手がおかれ、神様の愛と憐れみが現わされています。私たちの人生も時に苦しみ、悲しみの連続でくじけそうになります。原因を探しても逆に悩みが深くなり、自分自身の弱さや未熟さに直面します。そこで自分の力には限界があることに気が付き絶望するのです。イエス様はそのような者たちのために、十字架の苦しみを受けられ復活され、新しい命と希望を与えてくださいました。神様は望みのないところに望みをおき、私たちを生かし、苦難の中にある者を立ち上がらせてくださいます。私たちは、共に神の国の祝宴に招かれているのです。神様の愛と憐れみを信じて、四旬節のこの時を過ごしていきたいと願います。
祈り:恵みの神様。キリストが歩まれた十字架の道行きに思いを馳せ、これまでの日々を悔い改めて、共に祈りを合わせます。キリストはへりくだり、死に至るまで、従順に歩まれました。神様はキリストを通して私たちをご自分と和解させられたのです。そこに平和の道が示されました。私たちも互いに支え合い、宣教の使命を持ち続ける事ができますように、聖霊の助けと励ましを祈り求めます。苦難と痛みの中にある方々に、あなたからの慰めと癒しがありますように切に祈ります。この祈りを、私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。