表も裏も
マルコによる福音書 7: 1 – 8, 14 – 15, 21 – 23
本日は与えられました福音書の日課からみ言葉を聴きたいと思います。
ルーテル学院大学の百周年の時、記念講演会で医師の鎌田實先生のお話を聞きました。先生は、人間というのは進化の中にある存在で、それこそ単細胞から始まって、魚類、鳥類、哺乳類、そういうDNAが人間に受け継がれている、そんなお話をされました。先生は、つまり、人間の中には進化の過程の様々なDNAが受け継がれているというお話をされて、時に人間は野獣のDNAに支配されてしまうこともある、自分が若い頃に、結果的に血のつながりのない親だったようですが、なんであんなことを言ってしまったのか、どうしてあんなことをしてしまったのか、自分の過去を振り返る時に、取り返しのつかない自分がいるんだということをおっしゃっていました。そしてそのことを思い出すと「つらかった」ではなくて、今も「つらい」と語っておられました
八月というのは不思議な月で、今年はZOOMなど顔を合わせる機会は少なったものと思いますが、自分の過去に色々な意味で向き合う時になります。普段、あまり話すことのない、私は親であったり、友人でしたが、とにかく目の前で話している方かどうかは別として、その方を通して見えている、自分の過去というものがあります。今日イエスさまは、「人から出て来るものこそ、人を汚す」とおっしゃっています。ヤコブは「舌を制することができない人の信心は無意味だ」とさえ言います。大変厳しい言葉です。こういう言葉を前にすると、私たちは正直に返す言葉もないというところではないでしょうか。確かに、今は少し平安で、身の周りの方々とうまくやっているかもしれません。あるいは、うまくやっているどころか大変上々だという方もおられるかもしれない。けれども、時に私たちは湖の底から、深く、深く沈んでいた大木が突然浮かんでくることがあるように、「取り返しのつかない自分」というものを見出すことがあるのではないでしょうか。そして「つらかった」という過去ではなく、今も「つらい」のではないでしょうか。
今日のイエスさまのみ言葉のテーマは「神の掟」です。福音書ではファリサイ派の人たちが、「神の掟」の本質をないがしろにしていることをイエスさまが攻めておられます。ヤコブは「神の掟を聞くだけではあかん、行う人になりなさい」と教えています。旧約聖書では、「自分自身に十分気をつけて」、「神の掟」に熱心に留まることを教えています。
イエスさまは、今、この言葉を私たちに語られる時、「まあ、昔は色々あったかもしれないけれど、過去のことは水に流してやるから、これからはしっかりやりなさい」、「悔い改めてこれからは真人間になって神の掟を大事にしなきゃいけなよ」とおっしゃるのでしょうか。
私は、それは違うと思います。聖書には『ヨハネの手紙』という書物があります。この書物は「神の掟」の意味を、「古い掟」、「新しい掟」と言い換えて、「新しい掟」について、それをイエスさまの十字架と復活、その血によって赦されている福音こそ、「新しい掟」なのだと徹底的に「神の掟」を福音的に語り直している書物です。そこで語られていることは、私たちが「神の掟」を守るということは、イエスさまの十字架によって、どこまでも私たちの罪が赦されているということに立ち帰ることこそ、それを守ることなのだと言うのです。
そのことを覚える時、私たちは、このような厳しい言葉を語っているのがイエスさまであることをしっかりと見つめなくてはなりません。そしてイエスさまが、私たちが信仰告白で告白する通り、「まことの人であり、まことの神である」方であることを見上げなくてはならないのです。イエスさまは、確かに「まことの神」ですが、「まことの人」であった。イエスさまは「つらさ」を抱える一人の人、まさに「人の子」でありました。
この方が、十字架において与える「ゆるし」は、まさに「つらさ」を抱える人、すべてを包み込むものだということです。事実、イエスさまは、この厳しい言葉を放ったファリサイ派の人々、ユダヤ人の救いのために十字架についてくださったことを私たちは見失ってならないのです。
律法は、鋭く私たちの「つらさ」、「すねに傷を持つ」私たちを明らかにします。しかし福音は、そのような私たちを放っておくことは決してしないのです。「表も裏もある」私を、根っこから、その存在が丸ごと、イエスさまが愛の内に包まれているということを受け入れることです。人知れず、様々な思いを抱いている私たち一人一人が、イエスさまの血を飲み、その体を頂くことを通して、赦され、キリストの愛の御手に抱かれている。パウロは、そのように愛されている自分はリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さの中にあると表現しました。私たちもまた、この赦しの恵みの中にあることを感謝して、安心して歩みだしていきたいと思います。