2018年6月24日 説教要旨 氏家純一氏 (信徒)

「救いを思い起こす」

マルコによる福音書2: 23 – 28

本日の旧約聖書の日課と福音書の日課は皆さんよくご存じの十戒の第三番目、安息日です。主なる神が安息日を定められた理由と安息日についてのイエス・キリストとファリサイ派の人々との論争です。 申命記5章12節からと併行する箇所が出エジプト記の20章8節にあります。しかし、これらの箇所には大きな違いがあります。出エジプト記には、主は六日の間に天と地と海とすべてのものを作られたので、七日目を祝福してこれ聖別し、安息日とされたとあります。天地を創造した後の休息の日です。一方申命記には、主がイスラエルの民をエジプトの奴隷から御手と御腕を伸ばして導き出した事を思い起こすための安息日とあります。苦役からの救済を思う日です。出エジプト記はテーマがイスラエルの民をエジプトの国・奴隷の家から主が導き出した事であり、申命記は律法の解釈書の性格を持つ書である事等から、十分に働いた後の「お休みの日」であるよりも、「主の救済を思い起こす日」と考えるほうが私には自然ではないかと思われます。

本日の福音書の日課に併行する箇所は、マタイによる福音書2章の1節からと、ルカによる福音書6章の1節からにあります。しかし、これらと今日の日課の箇所は少々ひっかかる違いと大いに気になる違いがあります。大いに気になる違いは「安息日は人の為に定められた。人が安息日の為にあるのではない。」の箇所で、この強い言い切りの箇所がマタイにもルカにもない事です。安息日は「私達の救済の為に定められた日」と断言していると読めます。

共観福音書のうちで最初に書かれたと考えられているマルコによる福音書は、素朴とも言われ、それ故に力強く過激とも言える言い切りが多いと思えるのですが、私にはこれがすっきりと腑に落ちます。先々週の日課の17節「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪びとを招くためである」にもこのような力強い断言がみられます。

70年近く前、この教会に通い始めた頃を考えてみました。昭和23年の春ですから、戦後の復興の兆しが少しだけ見えはじめましたが、東京工業大の正面の白亜の本部棟が空爆を避ける為に真黒く塗られたままでした。三才児から受け入れた幼稚園に入れて頂きました。背が低くか細い子でしたが、乱暴で手のかかる子でした。又、とても生意気な子であったようで、先生方の話される聖書の奇蹟には口答えばかり、「そんな事ありえない」と扱いにくい子だったとは、同年配の方々の感想です。今は孫2人が幼稚園と続いて日曜学校の生徒です。男の孫はこれも乱暴な子で、さんざん先生方をてこずらせているようですが、隔世遺伝ですから、これは御容赦のほどお願い致します。

ニエミ園長先生の青い目や尖った鼻と同じくらい記憶に残っているのは幼児賛美歌「主われを愛す」です。「主は強ければ、我弱くとも恐れはあらじ」。大変に憧れたのでしょうが、中学に入る頃にはそれもしだいに薄れました。大学・留学・実社会をと続く40数年間は教会とのつながりは切れかけた糸となりました。
それからはここ教会とは遠く離れた世界で、小悪魔が多く住むとも言われるスイス-チューリッヒや、犬が犬を喰うとも言われるニューヨークの金融街での生活でした。数十年ぶりに家族そろってここ大岡山に帰りますと、日本の社会と経済は有史以来かとも言われるバブルの崩壊後で混乱しており、勤務する会社も又騒乱の中と言う状態でした。

そのような中で強い救済の主がおられる事を想い起しました。7日に一度は戻り、御言葉と説教を聴く喜びの場所がすぐ近くに、幼児であった頃と同じ場所にある事を想い起こしました。我々家族が帰国する数年前に召天した父が、何の連絡もないうちに教会員となっていたともありました。ラオス講座第3号の始めに「神は人間を救済する」これがイエスが証された真理であるとあります。強い主が、さかえを捨ててわが罪の為の十字架にはつけです。すでに救われているのですから、私達は大きな力を得て、明日からそれぞれの分に応じた働きをなし得ます。