痛恨の極み
ヨハネによる福音書21: 15-19
- 思い出したくない記憶
私は、過去に思い出したくないことがいくつもありました。そういう時、私は尾てい骨に汗が出ます。冷や汗とでもいうのでしょうか。いたたまれない気持ちになります。昔の話です。 - 本日のテキストの背景は、イエス様が連行される前
ペトロには、思い出したくない記憶があります。鶏が鳴く前に3度イエスを知らないと言ってしまっていたことです。(ヨハネ18:15~、25~)
また、弟子たちは十字架・復活の出来事から聖霊降臨までの間、大変不安定な時期・無気力におそわれた時期でした。イエスさまが突然いなくなり、生きる希望・生活の根拠・後ろ盾を失っていた弟子たちです。それは、先週のテキストにある通りです。例えば、弟子たちは、無気力な漁に出てもなにも取れないほどでした。 - 本日のテーマは、イエスさまとペトロです。
復活後イエスさまに出会い、三回も「わたしを愛するか」と問われます。「三回も問われ、悲しくなった。」と書かれています。ペトロは、思い出したくない記憶が消えることなく「痛恨の極み」です。いたたまれなく・冷や汗がどっと出てきたのではないでしょうか。公開・苦痛を伴い・ただうなだれるのみだったと思われます。
それでもペトロの答えは、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えるしかなかったのです。「はい、愛しています」と言い切ることはできなかったのです。 - それにしてもイエスさまは、なぜ三回も同じ問いをされたのでしょうか。嫌味でしょうか?傷口に塩でしょうか。しかし、イエスさまはそんなことはしません。ペトロとの対話の後の言葉です。
イエスさまは、一回目の後「わたしの小羊を飼いなさい」、二回目の後は「わたしの羊の世話をしなさい」、三回目の後は、「わたしの羊を飼いなさい」と言われました。
小羊・羊との表現は、特に差はないと注解書は言います。かつて10章で、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」と言われたイエスさまが、今度は失意のどん底にいるペトロに、あなたが羊飼い・良い羊飼いになりなさいと言われているのです。
小羊・羊とは、11人の使徒たちであり、さらに多くの弟子たち、また教会のことです。
イエスさまの新たな宣教命令、ペトロの生涯の役割・職務を与えられたのです。
ペトロは、イエスさまの言われたことが理解できたでしょうか。失意のどん底にいるペトロには届いていないかもしれません。しかし、そんなペトロにイエスさまのかけた言葉は、「わたしに従いなさい」でした。 - 「痛恨の極み」「失意のどん底」を経験したペトロは、二度とそのようなことをしてはいけない、イエスさまを裏切ってはいけない、と心に誓い、証し人・教会のリーダーとして成長していけたのではないでしょうか?
本日の第一の聖書は、使徒言行録4章ですが(ペンテコステ後)、そこには、一点の曇りもないペトロの姿が現れています。