説教集

※第三礼拝における説教の要旨を掲載しています。

*** 2007年9月 ***

聖霊降臨後第18主日

2007年9月30日 松岡俊一郎(牧師)

 イエス様が「金持ちと貧しいラザロ」についてのたとえを語られています。14節には「金に執着するファリサイ派の人びとが、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った」とありますから、彼らに向って語られていることは間違いないように思います。
 貧富の差はいつの時代にも存在します。イエス様が社会構造としての貧富の差を問題視して今日のたとえを語られているとは思えません。それでは何が問題なのでしょうか。
 ある金持ちがいつも上等の服を着て贅沢に遊び暮らしていました。彼の家の門の前には、ラザロという皮膚病を患った貧しい人が横たわっていました。やがてこの貧しい人も金持ちも死にました。死は誰にも公平に訪れます。しかしここで逆転が起こります。貧しいラザロは、死んで天国の宴席に招かれ、信仰の父アブラハムの傍らに座りました。金持ちは陰府の国で裁きにあい、炎の中でもだえ苦しんでいるのです。彼が天を見上げると、アブラハムの傍らにいるラザロが見えました。そこで彼は助けを求めました。金持ちは生前ラザロに水の少しでも与えたでしょうか。きっと与えたことがなかったに違いありません。ラザロの皮膚をなめていた犬と同じようにしか思っていなかったに違いありません。
 アブラハムは「思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ」と答えます。ここには、神さまの逆転と公平さがあります。金持ちのまわりにはいつも貧しい人たちがいたはずです。それは、少し心を向けるだけで気づいたはずです。しかし、彼は自分のまわりにあたかも貧しい人が存在しないかのように心を向けることなく無視し続け、優雅に暮らしていたのです。しかし、その貧しい人たちは確かに存在したのです。そして神さまはその人びとを決して無視されませんでした。
 金持ちはアブラハムに家族が陰府におちないように助けを求めます。しかし、アブラハムはすでに律法の中にその教えが込められている、そこから学べと言います。そして「もし、モーセや預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返るものがあっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。」と言います。考えて見ますと、復活というのは死者のよみがえりです。これは普通では、考えられない、普通では受け入れられないということでもあります。聖書に既に語られている神様のことばを受け入れない者が、死者のよみがえりを受け入れることはできないのです。
 お金に目がくらんでいたファリサイ派の人たちは、神様から遠く離れていました。
 わたしたちの状況はどうでしょう。拝金主義でもお金に溺れてもいないでしょう。またラザロのように貧困にあえいでいるわけでもありません。しかし、その間をさまよっているように思います。そしてモーセや預言者が語ることばにしっかりと耳を傾けているかというと、これまた中途半端なように思うのです。中途半端は、敏感に感じ取らなければならないことまでも鈍くなってしまいます。金持ちの家の前に佇む貧しいラザロを見ながら、存在を確認しながら通り過ぎてしまった多くの通行人のようになっているように思うからです。
 わたしたちには、それを戒めるイエス様がおられます。イエス様が貧しい人びとにどんな態度をとられたか知っています。そしてラザロに対するだけでなく、多くの人びとの罪の赦しのために十字架にかかられたことを知っているのです。神様はイエス様を「これはわたしの愛する子。これに聞け」と言われました。わたしたちもイエス様に聞き従いたいと思います。

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聖霊降臨後第16主日『小学生とともにまもる礼拝』

2007年9月16日 鈴木連三(信徒)

不公平な羊飼い

ルカ15章1~7

 今日の聖書に出てくるイエス様のたとえ話を聞いたことがある人は多いと思います。知らない人も今日のさんびかによってその内容を簡単に知ることができるでしょう。
 ちいさい羊が群れを離れ、遠くに遊びに行ってしまいました。つまり、羊飼いの目から離れることで、自由を得たわけです。しばらくはその羊は自由を楽しんでいました。しかし、夜になって状況が変わってくると、自分が迷子になった事に気が付きます。そして迷子の羊は羊飼いを求め、悲しく鳴き始めました。
 一方、羊飼いは、その羊を探していました。情け深い羊飼いは、探すために危険な場所を歩き回りました。そしてついに、迷子になった羊を見つけ出します。彼はその羊を抱いて帰り、いなくなった羊が見つかったことを仲間の羊飼いたちに伝えました。この羊飼いにとって、その一匹を見つけたうれしさというのは、ひとりでだまっていられないほど大きかったということです。でも歌には出て来ませんが、実は羊飼いは全部で100匹の羊を飼っていました。いなくなった羊を探すために99匹を残して探していたのです。
 このたとえ話、また、今日の箇所の続きにある『放蕩息子のたとえ』を聞いて、ちょっとすっきりしない人もいるかと思います。まじめな人ほど引っかかる気持ちは大きいのではないでしょうか?たった1匹の羊のために、残された99匹が放っておかれるなんて!正しい羊を後回しにして悪い羊に構っていることは、また、果たして正しいことなのでしょうか?また、親のいうことを聞かず家を出て、ぼろぼろになって帰ってきた息子のために、正しい兄弟を差し置いてパーティーを開く父親は本当に良いことをしたのでしょうか?
 自動販売機のジュースは、お金を入れるとジュースが出てきます。100円のジュースならば、100円を入れると1本、200円を入れると2本といった具合に、入れたお金が多いほどたくさんジュースが出てきます。でも神さまの愛はそうではありません。良いことをたくさんすればするほど、神さまがたくさん愛してくださるのではないのです。神さまは、迷子になって泣いている羊のように、また、全てを失ったどん底の中から恥をかなぐり捨てて帰ろうと思った息子のように、私が傷付いて心から神さまを心から求めている時に、喜んで駆け寄って抱きしめてくださいます。宝物のように大切にしてくださいます。その喜びの大きさは人間が払って買おうとしても買えないくらい高価なのです。普通の私たちの考えでは、不公平で理屈に合っていないかもしれません。でもこれが神さまの"理屈"、真理であり、愛です。そして、私たちにとっては、恵みです。

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聖霊降臨後第15主日

2007年9月9日 関口昌弘(信徒)

イエスさまの弟子とは

申命記29:1-8  フィレモン1-25  ルカ14:25-33

 ルカ14章の「弟子の条件」の説教準備を始めようとしている時に、カトリック教会のセンセーショナルな記事に接しました。 はじめに、その内容についてお話します。

「教皇ベネディクト十六世 ペトロ岐部と187殉教者の列福を承認」 (福音宣教 2007年8月号)
 カトリック教会は、イエス・キリストが述べ伝えた神の救いを信じ、神と共に生きて、多くの信者の模範となる人びとを、信仰を証しする聖人・福者と宣言し、その生き方の倣うよう奨励しています。
聖人:その記念日が全世界の教会で祝われる。 (日本人では、26聖人など42名)
福者:聖人の前段階である福者は、ゆかりの地域の教会で記念されます。(日本人では、1867年205名、今回の188名を加え合計435名になる。)
 188名の殉教者は、徳川幕府の厳しい禁教政策のもとで信仰の自由を守り抜き、1603~1639年全国各地で殉教した日本人です。そのうち5人は司祭・修道者、183名は武士・町人・家庭の主婦・農民・伝道士など老若男女の信徒たちです。
 その筆頭が司祭ペトロ岐部:豊後生まれ(現大分県)(1587~1639)迫害に苦しむ日本の信徒たちのために司祭になる決意をし、大陸を横断し徒歩でローマへ行った不屈の人。江戸で殉教。
 ペトロ岐部の理想は、殉教の列福者三木パウロの取次ぎによって、将来日本全体がいち早く平和になって、主キリストにふさわしい花嫁になることであった。
 ペトロ岐部を拷問の末殺した井上筑後守は、転んだと偽りの報告書を書くこともできる立場でありながら、「ペトロ岐部 転び申さず候」という重い一言を書き残した。それは、岐部への畏敬の言葉としか思えない。(福音宣教07年8月)
 中浦ジュリアン:(現長崎県西海市生まれ1568~1633 )天正の遣欧使節の一人として西欧と日本を結ぶ架け橋の草分けとして知られている。見せしめのため西坂で殉教。
 188人の列福調査をした列聖省枢機卿委員会は、調査開始から25年もの歳月を要した。

 その後、長い年月、潜伏キリシタン、かくれキリシタンの重い時代があります。

1858年 日米修好通商条約により外国人居留民地内の信教と礼拝の自由を承認
1865年3月、長崎大浦天主堂(26聖人聖堂)の出来事 「信徒発見」
 宣教師プチジャンは、報告書の中で感動的に伝えています。
 いつもとは様子の違う十人あまりの見物人たちの態度に気づきながら、聖壇の前で祈っていました。するとその中の一人の婦人が近づき神父の耳元でささやきました。
 「ワレラノムネ アナタノムネ トオナジ」
 「サンタ・マリアのご像はどこ。」
プチジャンは聖母のご像の前に案内した。
 「ほんとにサンタ・マリア様だよ。御子ゼズス様を抱いておられる。」
 約250年の沈黙を破って行なわれた「信徒発見」と「神父発見」の瞬間です。世界の宗教史に例を見ない唯一の出来事です。この後、長崎近郊に潜伏していた信者たちは、さらに伝達事項(「バスチャンの予言」)を確認するかのように、ひそかにプチジャン神父を訪ねては問いかけます。
 更にその一ヶ月後の夜の出来事は圧巻です。外海の三人の信者たちは、小さな灯火を前に、先祖たちから伝えられてきた教えを万感の思いを込めてプチジャン神父に話しました。
 一方神父も、フランスから持参した聖書と図解の要理を使って、教会の教えを一つひとつ説明します。すると、一つの話が終わるたびに感嘆の声を上げたといいます。
「はい、同じです。私どもも家で同じ話を聞かされております。少しも違いません。」
時と場所を越えて、同じ心、同じ祈りを持つ者同士が出会った計り知れない喜びの瞬間です。一人の司祭もいない地方教会で、約250年間教会の教えは歪曲されることも、時代に埋没することもなく、親から子へ、子から孫へ連綿と伝えられ、信者たちの消え入りそうな希望を支え続けたのです。これが日本の教会の信仰伝達(同じ心、同じ祈り)の原体験です。(福音宣教 1999年10月号)

 以上は、全く信じられないような、しかし事実なのです。それを支えたものは、なんでしょうか。
 時代は逆のぼりますが、1580年イエズス会は、信徒教育、司祭養成の為に有馬・安土にセミナリオ(修練院)、コレジオ(新学校)を開設します。(ラテン語・日本語で教育)
 1590年に中浦ジュリアンなどの遣欧使節が活字印刷機を持ち帰っています。
 1591年、1600年 「ドチリイナ・キリシタン」(キリシタン教理書)を発行しています。
 内容は、教理問答書そのものです。キリシタンとは何か、デウスとは、クルスのこと、マリアのこと、十主の祈りのこと、戒のこと、使徒信条のこと など。
「病者を扶(たす)くる心得」(第一 貴きバウチズモ(バプテスマ)のこと 他)
「コンチリサンのりやく」=ゆるしの秘蹟に関すること。「痛悔(コンチリサン)」と「告白(コンヒサン)」
第4.「デウスにたちかゑ奉る罪人の申上べきコンチリサンのオラツ所のこと」

 キリシタンの組織:司祭が追放されまたは殉教したため、各郷(地域)に「水方」「帳方」「聞役」が大きな役割を果たしました。また、当時の「組」は、使徒言行録に記されている信徒の共同体、13世紀のヨーロッパで誕生した自発的で自主独立運営からなる信徒信心組織(共同体)を想わせる。
 「XXの組」は村や地域への奉仕が明確に意識されていることが、「ドチリイナ・キリシタン」にも示されています。

 今日のテキストから 「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」
 四百年前のキリシタンたちは、命を賭けて信仰を生きたのではなく、神に賭けて毎日を生きたのだと思います。神に賭ける姿勢は、日々の生活の中で問われています。その選びの積み重ねが人々を殉教へと導いたのだと思います。
 私たちも、主と共に歩む歩みの中で、自分の十字架を背負って、思いと行いが導かれるように祈りましょう。

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聖霊降臨後第14主日

2007年9月2日 松岡俊一郎(牧師)

 イエス様は、ファリサイ派の人の家の食事に招かれておられました。そこに招かれていた人もお金持ちだったり、社会的に地位の高い人が多かったに違いありません。そして人びとは、上座を選んで座っていたのです。その様子を見てイエス様は、「婚宴に招待されたら、上座についてはならない。」と言われました。ここで言われていることは、ただ恥をかかないようにしなさいということではありません。また「上席に座る」ということも、ただ場所のことを言っているのではありません。上席を好むという姿に潜む、人がもっている権力や力への憧れや欲望について語っておられるのです。
 人は本来弱い存在です。弱い存在であるからこそ、自分を強く見せたり、強いものに憧れ、時にはこびへつらい、力や財力を手に入れようとします。しかし私たちの生活と命の最終的な目的がそこにあるとするのなら、イエス様のことばによって眼を覚まさせていただかなくてはなりません。
 自分を強く見せたところで、権力や財力で人の上に立ち、人を支配しようとしたところで、人の弱い本質は少しも変わりません。それらはむしろわたしたちの心の上着でしかありません。それをよりどころとして、それらに立って生きようとするとき、これほどもろく、危ういものはないのです。
 イエス様は、私たちが神様の前でどのように生きるかを見ておられます。わたしたちが手に入れようとしている力や財力は、神様の前では何の力も持ちませんし、関係もありません。パウロもそれらのものを求めて必死になっていました。しかし復活のイエス様に出会ってからは、それらのものがいかにつまらないものであったか、不必要なものであったかを、フィリピ3:5~8節で言っています。
 聖書は私たちの考える力と強さとはまったく違うところに価値を置いています。聖書が価値を置くところは、「へりくだり」です。へりくだりの中に神様の愛と慈しみがあり、へりくだりの中に神様の働く場所があるからです。パウロはその「へりくだり」の究極の手本としてキリストの姿を描いています。ピリピ2:6-9
 「へりくだり」は人の目には弱さです。パウロは「わたしは弱いときにこそ強いからです」と言います。この逆説は、神様の力が私たちの弱さの中で働くことを知っているから言えることばです。
 聖書が言う「へりくだり」に対する報いは、人びとから与えられるものではありません。神様から与えられるものです。
 ダイヤモンド社から出されています「こころのチキンスープ」に「苦しみを超えて」という無名兵士の詩が紹介されています。

 「大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱い者とされた。
 より偉大なことが出来るように健康を求めたのに、よりよいことができるようにと病気を戴いた。
 幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。
 世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、神を求め続けるようにと弱さを授かった。
 人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと命を授かった。
 求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
 神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。
 私はあらゆる人の中で最も祝福されたのだ。」

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