説教集

※第三礼拝における説教の要旨を掲載しています。

*** 2005年3月 ***

四旬節第5主日

2005年3月13日 関口昌弘

「イエスは涙を流された」

エゼキエル33:10~16  ローマ5:1~5  ヨハネ11:17~53

1.ラザロの死と復活の物語
 (第一幕)愛する者の死 (ラザロの死)11:1~16
 イエス様と弟子たちは、捕らえられて石で打ち殺される心配があったためベタニアから少し離れた所におられた。そこは、ヨルダン川の向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所にでした。そこへ大変大切な親しい家族からの知らせ、ラザロの病気の知らせが届きました。
しかし、イエス様は、直ぐにはベタニアに行かず、なお二日間そこに滞在された。何故でしょうか? 二つほど理由が考えられます。
[1]ユダヤに行くとイエス様も弟子たちも死の危険にさらされます。(8)
[2]ラザロの死を待っていた。それは、むごいことではありますが、神様の栄光のため、イエス様の栄光をあらわため、また弟子たちの信仰を確実にするためでした。(15)

(第二幕)主よ、信じます (イエスは復活と命)11:17~27
 イエス様は、ついにユダヤの地・ベタニアに入られました。ご自分の死が早まることを覚悟の上ででした。しかし、ラザロは、既に墓に葬られ四日もたっていました。マルタは言います。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。(22) イエス様とマルタの会話がはじまります。少し食い違っています。しかしマルタは、素晴らしい証しをします。
「終わりの日の復活の時に復活することは存じております。」
「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

(第三幕)死は愛を過去化する (イエス、涙を流す)11:28~37
 そこへマリアとユダヤ人たちも来ます。ラザロのために悲しみに打ちひしがれています。マリアは全身でイエス様に訴えます。マルタと同じ言葉です。しかし、やり場の無い死の悲しみの訴えです。若者の死は、この上なく悲しく辛いことです。もし、それが子どもであったり理由の無い死が訪れた時、親は、気が狂いそうな悲しみとやり場の無い怒りがこみ上げます。しかし、人間は、どんなに悲しく絶えがたく辛くても、時間が掛かっても、死を受容するしかないのです。
 イエス様もそれに応えます。人間としてのイエスの愛、悲しみの共有が伝わります。
 心に憤りを覚え、興奮して、「どこに葬ったのか。」 イエスは涙を流された。(35) ユダヤ人たちは、言う。
「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」
「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」

(第四幕)永遠の命を与える (ラザロを生き返らせる)11:38~44
 「イエスは、再び心に憤り覚えて、墓にこられた。」(38)
 今度は、イエス様は何に憤っておられるのでしょうか? 
 悪魔の支配する「死」に対してでしょうか? 真理を悟ることのできない、人間の弱さ罪・不信仰に対してでしょか?
 イエス様は、祈ります。(41)「父よ、わたしの願いをいつも聞いてくださっていることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこういうのは、周りにいる群集のためです。あたながわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」

 イエス様は、ついに人の知識・知恵を超えた奇跡を行います。「ラザロ、出てきなさい。」(43) マルタに言ったイエス様の言葉「あなたの兄弟は復活する。」最早マルタに迷いはありません。(25) わたしは、復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」

(終幕)イエスを殺す計画 11:45~57
 マリアと共にいて、この出来事を目撃した多くのユダヤ人は、イエス様を信じました。しかし、中には、ファリサイ派や律法学者のところへ走ったユダヤ人もいました。そのため最高法院が召集されイエス様を殺す計画がスタートすることになってしまいました。
 ラザロの復活物語は、イエス様の復活の前ぶれになっています。

2.神の痛み  「神の痛みの神学」北森嘉蔵(昭和21年初版)
 ルターによれば、ゴルゴダにおいては「神が神と闘った」のである。いかにしても罪人に死を命じ給うべき神と、この罪人を愛せんとし給う神とが闘ったのである。この神が別の神ではなくして同一の神であり給うという事実こそ、神の痛みである。…キリストの死は「死の死」である。

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